【ADHD特集2記事】あの日、私はADHD診療を決断した。& ADHD検査の壁はなぜここまで厚いのか?~医師との半年に渡る苦悩の全記録

記事
学び

第1記事【あの日、私はADHD診療を決断した。】

私、天豆 てんまめは、外資系企業に勤める傍ら、WEBライターをし、そして、ADHDで悩む方々のカウンセラーをしています。

私自身もADHDです。

私の息子もADHDです。

「あなたはグレーゾーンではありません。」

あの日、私の担当医が私に言った言葉です。

思えば、社会人になって以降、自身の特性に振り回され、悩み、生き辛さを感じてきた時間が非常に長かったように思います。

でも、そんな中で「ADHDと共にいかに楽しく生きるか」を長い時間探求し、

今は家族と共に心地いい日々を過ごしています。

今日はその私の「ADHDと共に生きる」旅の最初の一歩を書こうと思います。

ADHDの方だけではなく、

他の発達障害もしくは適応障害やうつに悩む方、

ADHDのご家族がいる方、

上司や部下がADHDの方、

そして「自分はADHDなのではないか?」とグレーゾーンの悩みを持っている方。

そんな方に向け「ADHDと共にいかに楽しく生きるか」の生きる術をお届けします。

ちなみに私がADHDと診断されたのは大人になってからですが

企業にも仕事仲間にもそのことは明かしていません。

知っているのは、妻と数名の親友と医師のみです。

そして、この記事を読んでいる皆さまです。

有料記事にするのは私が勤める会社にはクローズにしているからという点もあります。

悩みを抱える方々に少しでも生きやすくなるヒントとなるような記事をお届けできればと思っています。

今後、私にとって効果的だった日々の習慣や工夫に関しても綴っていきます。

例えば
瞑想
ヨガ
高速音読
効果的な運動
仕事でのミス軽減の工夫
衝動性を抑える工夫
物事をやり遂げるための工夫
メンタルの整え方
ストレスを軽減する方法
自己肯定感の高め方
夫婦のコミュニケーションについて
etc...

きっと私の普段の記事を読んでいる方にもADHDで悩んでいる方もいると思います。

私ってADHDなのでしょうか?

この問いを抱えながら過ごしている方も多いかと思います。

私もそうでした。

そして本当に自分がADHDかどうかを確かめるために
メンタルクリニックの門をたたくことは

私にとってとても勇気が要ることでもありました。

ADHDの診断を下される方には2つのパターンがあると思います。

1つはADHD以外の鬱の症状が表面に出てそれが理由で診断を受け、ADHDだとわかる場合。

もう1つは、自分もしくは家族が「発達障害なのではないか?」と思い、それを理由に診断を受ける場合。

私は後者でした。

ただ、振り返れば「うつ」も併発していたような気もするのですが。

私が「自分が大人の発達障害に該当し、中でもADHDでは無いだろうか?」という疑念から

「もう今、きちんと確かめないとまずい」という緊迫感に変わったのはやはり仕事上が原因でした。

当時、私はとある外資系の企業に転職して2年ほど経っていました。

前職の業界とは分野も違い、ミスを許されない雰囲気が濃い減点法の企業文化に心を削られながらどうにか頑張っていたのですが

日を増すごとに「何でこの人はこんなことができないのだろう」という視線、批判、叱責を受け続けることによって、更にその状況での辛さが顕著になっていたのです。

それでもどうにか食らいつくようにして業務に当たっていました。

元々、以下のような特性に「何でだろう」と思いながら、どうしてもできない、どうしても同じミスを繰り返す自分に幻滅しながら長年生きてきました。

・事務作業が苦手。時間がやたらとかかる。しかもミスが多い。

・マルチタスクが苦手。なのに様々なことに目移りしやすく、複数の作業を一度に抱えて同時にやろうとしたがる傾向にある。

・よって中途半端のまま、仕事が完了しない。

・1日、1週、1か月のプロジェクトの時間配分や段取りが苦手。

・ちょっとした刺激に気を取られ、すぐ気が散ってしまう。

・仕事始めにどれから手をつけたらいいのかわからず、混乱する。

・急がなければならない課題や仕事とわかっていなから、それがつまらないものだと手をつける気持ちが湧かず、つい後回しにしてしまいがちになる。

・結果、周囲からは「気分まかせに仕事をする信頼のおけない人」といったレッテルを貼られることになる。

・思いついたことをすぐに口にして、失言する。

・聞き間違いをしてしまうことも多い。

・よくものを失くす。

・物をどこに閉まったか(置いたか)わからなくなる。

・すぐに頭の中がいっぱいいっぱいになる。

・人の批判や叱責にも過剰反応してしまう。

・変化のない作業や課題を黙々とこなしていくことが苦手。

・たびたび気力が途切れてしまう。

ここまで自覚症状があって逆に我ながらよく今までやってきたと思いますが

発達障害やADHDに関しての認識が無く、ただ自分はできない人と思っていた点がありました。

逆に得意なこともありました。

・アイデアを提案すること

・営業

・人前でプレゼンすること

・思いついたらすぐ行動すること

・文章を書くこと

こうした点が仕事の分野によって発揮されると加点法的に生きていけるのですが、

その企業ではノーミスが前提の減点法的な業務と組織文化だったのでADHD特性を持つ私にとっては非常に厳しい環境でした。

ただ、環境の変化に適応できず、重大かつ致命的なミステイクを起こし、自身の本質を考え抜いたからこそ、

私は診断を受ける決断をして、自分がADHDだと知ることができました。

入社して2年が経った頃、私は新規事業のプロジェクトマネージャーを任されました。

この続きは購入すると読めるようになります。
残り:7,487文字
【ADHD特集2記事】あの日、私はA... 記事
学び
500円
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す