頭で考える推し活と心で感じる推し活

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私が推し活を終えて感じた事がありました。
それは初期の頃は心で感じていたけど、途中から頭で考えた感情で動いていたという事です。
推し活にハマッていた頃は心で感じた楽しいや嬉しいに忠実で、心の底から推し活を楽しめていたと感じます。
しかし、いつの頃からか感情よりも頭で考えた気持ちで推し活をしていたのだと気づきました。
本来は心が求めるから推しを見聞きしたいと思うものなのに、少しずつ楽しめなくなってきてから「お金払ったんだから楽しまないと損になる」「今日は全然楽しくなかったけど、たまたま今日はそういう日だったかもしれない」というように、心が素直に感じた事を無視して頭で無理に考えていたと思います。

【気持ちと感情の違い】

気持ちとは気の持ちようと書いて気持ち。つまり考え方次第で変える事ができるもの。
起こった出来事に対して捉え方一つでそれが楽しい物に感じたり、反対に楽しくないと感じる事ができます。
一方の感情は理由無く自分の心から発せられるもので、喜怒哀楽は自分が反射的に感じたものが湧き上がると思います。
自分が今感じている楽しいは心が素直に感じたものなのか、それとも頭で考えて楽しいと思い込んでいるのかでだいぶ違っていると感じました。
人を好きになる時もそうですが、理由はわからないけどとにかく好き!と感じるのは感情が働いた好きだと思います。
しかし、「かっこいいから好き」「お金持ちだから好き」というように、理由が明確である好きは頭で考えて作り出した好意であると私は考えます。

計算された感情かナチュラルに発した感情なのかを理解しないまま推し活をしていると、いつの間にか自分を見失ってしまうのだと気づきました。
特に推し活に対してマイナスな感情が出た場合、それが心から発せられた物であれば早急に自分自身で気づいてあげないとどんどん疲弊していきます。
それが例え嬉しい事が続いた時でも、心が違和感を感じていたり不安に思っていたのなら見過ごさず自覚した方が良いでしょう。

【心の訴え】

私自身も推し活を続けていく中で、心が素直に「楽しくない」と感じた事に気づきました。
以前まで無かった感情に自分自身戸惑いもありましたが、今の推し活の状態が素直に楽しめないとわかった途端に楽になれた気もします。
なぜなら自分が楽しくないと思っている場所にわざわざ行く必要が無いからです。
仕事であれば嫌でも行かなくてはいけません。しかし、推し活は自分で行くことも辞める事も選べるのです。
案外推し活疲れの中には本当に体が疲れていて心が「疲れている」と発している事もあります。
その時は心に従って十分に休む事で推し活に対してまた気力が生まれることもあるでしょう。
心の訴えは生きていく上で大切で、ストレスをなくすために必要なサインでもあります。
私の場合は心の訴えを最初は一時的なものか、それとも常に感じていることか判断できかねたので、自分の中であと何回行こうと決めていました。
その結果、何度行っても楽しめなかった事から完璧に心がもう求めていないんだと気づいたんです。

【自分と他人の違い】

心は人それぞれなのでもちろんペースも違います。
同じように推し活に邁進している人の中にもそれが楽しくできている人と、必死で追っている人では満足度も違うでしょう。
周りの人が余裕そうに見えたり、自分だけ必死になって辛いと感じるのは、周りと勝手に比較してしまっているからです。
推しを好きで追っているのになぜ他人と比較する必要があるのか、なぜ自分のペースではなく他人のペースに合わせようとするのか。
そこに気づかず疲弊して心が折れている人が多いと感じました。
推し活をしていると人との交流が増えたり、情報が増えたりと、どうしても他者のことが気になる場面も増えていきます。
情報や交流が増えるたびに、自分が心で感じるより頭で考える事が増え、その思考に忠実な気持ちが優先されてしまうのではないかと考えました。
本来なら「人は人、自分は自分」と割り切れると良いのですが、推し活という場は仲間意識が生まれたり反対にライバル意識が芽生えてしまい、簡単に切り離して考える事が難しくなってきます。
自分軸を持って自分の気持に忠実であれば、他人に流される事無く自分のペースで推し活が出来るでしょう。

【推しへの期待】

推しをただ遠くから見ている時点では多くを望むより見ているだけで満足できたと思います。
それが現場に足を運び、推しを生で感じた後は徐々にその場での期待感が高まってしまいます。
今まで見れるだけで満足していた事が、現場に行くほど欲求が出てきてしまうのは、物理的に推しを近くに感じてしまうからだと思いました。
現場に行くと目を合わせてくれたとか、手を振ってくれたとか、そういった体験があれば尚更その良かった出来事をもっと体験したいと求めてしまうんです。
いつの間にか「推しを見れた」という満足感より「こうして欲しい、こうなったら良いな」という妄想、つまり頭で考えたことを求めるのに必死になってしまうのが頭で考える推し活ではないでしょうか。
気持ちで感じることよりも理想や期待の方が先行してしまい、その結果それにそぐわない事に対して落ち込んだり疲弊してしまうという事は推し活によくあることです。
良い出来事があればあるほど、心が求める物もエスカレートしていき、今まで楽しめていたラインをどんどん上げてハードルが高くなります。
頭で考える事が増えると、自分の中でそれが基準となってしまい感情が感じたことより、いかに自分が考えた事に現実が近いかどうかが優先になってしまうでしょう。

【理想と現実の使い分け】

よく現場に通ったりイベントに行ったり、わりとアクティブに推し活をしてきた私ですが、実はある好きなアーティストだけは未だにライブに行っていません。
私の中ではその推し様をずっと画面の向こうの憧れの人でいて欲しいから、生で見る事を避けていました。
この推し様だけは何があっても会いたくない、現実を見たくないという思いから自衛のために生で見ていない状態です。
もちろんCDやDVDやグッズは買っていますし、出来る範囲で推し様を見聞きしています。
だからこそ、見ているだけで満足だと思える「心に忠実な推し活」を、このアーティストさんにだけは保てていました。

私は元来、そういった思考が強かったです。
推しに会ったら現実を見てしまう、憧れがあるほど会いたくない、こういった感情を持っていたけど、いざ現場に足を運ぶとそこでしか得られない楽しさを体感して現場に行く事にハマッてしまいました。
しかし、現場で得られる楽しさと同時に現実的な推しを知ることで徐々に理想と現実のギャップに気持ちが追いつかないなんて事も経験しています。
昔推してた人はまさにそうで、現場に足を運ぶまでは一生推したい!と思っていました。
それがいつしか現場での塩対応を経験したり、映像では確認できないような場面で後輩に対してちょっと威圧的に見える態度を取っていたり、徐々に理想の推し様からかけ離れていく現実の推し様を見て冷めました。
私の中でその推し様を理想化していただけであって、本来推し様はそういった人だったんだと思います。
自分でしっかり現実的な事を経験して学んだ部分もあるので、大切に思いたい推し様に対してはやはり生で見に行くより画面の向こうの人として推していこうと決めました。

【推し活仲間】

今回推し活引退にあたり、仲の良かった人達にはそれぞれ告げていました。
私のように最近楽しくなくなったと感じている人もいましたし、反対に現状まだまだ楽しめる!という人もいました。
同じ気持ちを持っている人には素直に話せるんですが、モチベーションが高い人達に話す事を躊躇った部分もあります。
しかし、仲のいい人達はわりと自分軸がしっかりしている人達が多かったので、私の気持ちを吐露しても引きずられたり私を引きとめようとする事は無かったです。
私の気持ちを聞いた上で納得してくれて、無理をさせるとか否定するとかそういった事がなかったので、今後も安心して付き合っていける人達だと感じました。
自分の感情を素直に話せるというのはなかなか出来ない事なので、今まで付き合ってきた推し活仲間も気持ちや感情が安定していたり自分に忠実な人達なんだと感じます。

場合によっては推し活を辞めた後に仲の良かった人達とは疎遠になる事はあると思います。
推し活という共通の話題をなくした途端に関わる理由が薄れてしまうのは仕方がない事。
それでも、推し活仲間は「現場じゃなくても旅行とかでこっち来た時はご飯行こうね」とか「今後も推しの話しても良い?」と聞いてくれて、とても配慮のある人間関係を続けてくれようとしました。
これは推し活だけの仲間意識ではなく、友達付き合いとしての人間関係が続くという事なので、そう思ってくれていたことにとても嬉しい気持ちになりました。
感情と気持ちのバランス感覚が良い人達と関われていたことを、今になるととても良い経験と良い出会いだったと感じます。

【感情に忠実すぎると起こること】

感情に目を背ける事は良くないのですが、反対に感情に忠実すぎるのも危険です。
特に人間関係となると建設的な考えが必要になります。
私が推し活仲間と良好な関係性を築いてきて思ったのは、本音と建前を上手く使い分ける必要があるという事です。
もちろんファン同士だけではなく、相手が推し様であってもそうです。
むしろ推し様を目の前にした時に感情で動いてしまう事は最も危険な行為だと感じました。
自分が体感する事柄に関しては素直に感じる喜怒哀楽を感じ取り、それを受け止める事が大切です。
しかし、相手がいる人間関係というものに対しては相手を考えて行動する事が時には必要で、それが自分の意にそぐわなくても相手と良好な関係を築く為には我慢も必要になります。
簡単に言えば「自分を労わり相手を尊重する」ということが大切です。
推し活で極端になりがちな人はこのバランスが崩れてしまっているのかもしれません。
推し様に嫌われたくないと消極的になっている人は自分を労われていなかったり、反対に推し様に迷惑をかけるほど行動してしまう人は自分の感情に素直すぎて相手を気遣う気持ちに欠けてしまっています。
何事にもバランスが必要なので、自分を大切にしながら相手の気持ちも理解しようとする感覚は推し活のみならず私生活においても大切になるでしょう。

【バランス感覚】

一番大切なのは心と頭のバランス感覚です。
そこが上手く保てている人は無理をしない推し活が出来ていたり、常に安定して見えました。
自分の心が感じた事も頭で考えて感じた事も、全ては自分自身が発したことなので、どちらかに偏ったり見てみぬフリをすることは良くないのかもしれません。
特にプライドが高い人であれば自分の中の本音の部分から目を背けたがる傾向があります。
本当はチヤホヤされたい、推しに好きになって欲しい、推しと恋愛がしたい等、本心では思っていてもそれが叶わないと頭でわかっていて蓋をしようとします。
本音を押し込めることで叶わない現実に対してストレスが溜まっていくので、知らず知らずのうちに楽しめなかったり焦ってしまう事も往々にあるでしょう。
本心を隠そうとするのではなく、誰にも話さず自分自身で本当の気持ちを認めてあげることが重要です。
自分の本音の部分が恥ずかしいとかダサいとか、そういったことは考える必要はありません。
誰にも言わず自分で認め自覚しただけで楽になれる事もあります。
推し活を楽しむ上で、推し様のことだけを考えるのではなく、自分自身と向き合うことも時には必要になると私自身も感じました。
気持ちが不安定だと感じたり、モヤモヤするけど原因がわからないという人は是非自分と真剣に向き合ってみてください。
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