ギブの行き場がなかった話

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■ギバーとテイカーとは

世の中には
「人から奪う人(考え方が人から何をもらおうか?がベースの人)=テイカー」
「人に与える人(人に何を与えられるか?がベースの人)=ギバー」
「損得のバランスをとる人(与えられれば与えるし与えられなければ与えない人)=マッチャー」
という3パターンの人がいる。

勿論ギバーだから誰に対しても与え続けるわけではなく、家族にはマッチャーだけどそれ以外にはギバーとか、その逆もいる。考え方のベースがざっくりどれかで決まる。
大体これらの割合はテイカーが2割、ギバーが3割弱、マッチャーが6割弱らしい。

これらは書籍「GIVE&TAKE 「与える人」ほど成功する時代」アダム・グランド著 を読んで私なりに解釈したギバーとテイカーの考え方をもとに書かせていただく。


「与える」というと大げさに聞こえてしまうが、例えば褒め上手だったり、人を手伝う時さほど見返りを求めず動き始めたり、場の空気を良くしたり、自分で自分の機嫌を取れる人はギバーじゃないかと私は思っている。
最近私はうっすら自分がギバーかなあと思っているのでギバーとして話を進めさせてもらう。

■どんなギブをしてたのか
そうなったのも、私の母は典型的なテイカーだった。
母は私が何かに苦しんでいると顔には出していないつもりでも胸の中で安堵しているのが手に取るように分かった。
「私が不幸だから、私の娘も不幸でいてもらわなくては困る。しかも、私よりも少しだけ多く不幸であってほしい」という風に。
そういう環境に身を置くとどうなるか。
母と過ごしているうちに私は自己犠牲的なギブが当然になり、そうしなければ(自分が苦しい状態に身を置いていなければ)なんだか居心地が悪いという人間になった。

私の場合の実家にいた頃の「自己犠牲的なギブ」とは
・自分の価値を貶められるのが当然の日常会話を容認する
・場の空気を良くしようとおどけてみる
・何かに苦しんでいる姿を見せる=「私よりこいつが苦しんでいる。安心だ」と母に思わせる
・何かに失敗した姿を見せる=「私なんて何をやってもダメ」であることを母に見せる
・「よし、次はトイレ掃除をして、そのあとコーヒー淹れてゆっくりしよう」などこれからの行動の予定を口に出す=これにより母と行動のバッティングを防ぐ
などがあったと思う。

ここで問題なのが、上記の行動は全て母の機嫌は良くするが、社会生活では逆効果だということ。(最後のに関しては良く作用することもあるかもしれないが)
むしろ、これらの行為をすると「自信がない」「悲観的」「なんかスベっている人」の印象を人に与えてしまう。
でも気付かなかった。20年それで生きてきていたから。

しかも、母との会話はスベっても問題なかった。母は与えられさえすればいい人だから、「与えられた」という事実があればその結果は二の次なのだ。
だから私は人と会話していてもどんどん話してスベっても構わず話し続けるという超面倒くさい面も持っている。
とにかく与えないと、話さないと、話題を提供しないと、面白くないと、結果が振るわなかったら次の矢だ、ととにかくやたらめったらギブしまくる(これがギブかと言われるとやられている方からしたら迷惑だからギブじゃないのかもしれないけど)。
自己犠牲的なギブは長期的にいい結果を生まない上、効率的でなく評価もされにくい。それでもギブを止められない。

■高飛車なギバー
ここで更に問題に拍車をかけたのが私の本来の高飛車な気質だ。
私の顔はどちらかというとキツい方で声も低い。初対面の方にポップでキュートな印象を与えるタイプではない。

そこにこのトンチンカンなギブが相まって「失礼で悲観的で何をしたいのかよくわからない空気を読まないおしゃべりな人」が出来上がってしまった。
しかも与えられてこなかったから他人からギブされることがあってもそれがギブだと思えない。受け取り方がわからない。
(「優しいね」と言われて「私が優しいわけはないから何か裏があるに違いないと」と思う、といった風に)
高飛車だからギブが必要ないように見えてあまりされない。
集団の中での評価は低い。
ギブしてもしても見返りがない(そう感じられない)からどんどん疲弊していく(ギバーは見返りがなくてもギブし続けられる人、ということではない)。
今思っても私が幸せを感じるのはかなり難しかった。

■行き場のないギブ
ところで、私は埃が気になって掃除をしないと気がすまないという強迫性障害を持っているんだが、ずっと何故発症したのかよくわからないでいた。
最近「自己犠牲的なギバー」の話を知って、もしかしたらこれでは、と思い当たった。

私が強迫性障害を発症した頃、仕事も上手くいっていて一人暮らしで比較的いいマンションに住み、自分に投資することにも躊躇いがなくなり、金銭的な充足から精神的にも余裕ができていった。
それまでは常に身近に搾取か貧困があって、常に何かを我慢している状態だった。それが私のギブの行き場のなさをごまかしていた。
これまでの人生で満たされたことのない私が満たされた時、前述した「居心地の悪さ」が顔を出した。

「お前は不幸でいなくてはいけない」
20年かけて母からかけられた呪い。
結果、行き場のなくなった私のギブは「私の中の子供」に向かったのではないか。
その子供は愛に飢えていて、愛されているなら証拠がないといけない。証拠はどんなにもらっても満足できない。一度もらうともっと。昨日よりもっと、もっともっと。一度やったことは毎日やって。今日はもっとやって。やってやって!!と頭の中で騒ぎ続ける子供。
息子が生まれて気付いたが、私の中の子供の強迫の仕方は本当に子供のそれだ。
私は行き場のなくなった「自己犠牲的なギブ」を私の中の私に搾取される日々が始まった。それは終わることがなかった。私の中にもテイカーはいる。ギバーの要素が強いだけで、もらいたいし、奪いたい。その力を全力で行使してくる。私が生きている限り、その子供は搾取をやめない。
毎日毎日何時間も掃除に費やされる日々。その症状は程度の差はあれどその後10年経った今も私を苦しめている。

■うまくギブできなくてごめんなさい
更に困ったのが結婚後だ。
とにかく嫁ぎ先(夫と義母)とこのギブアンドテイクの考えが合わない。
私はとにかく話題を提供して笑ってもらうことで安心する人間だから色んな話題を振るが、ことごとく当たらない。
夫と義母は深刻な話や仕事の話はきちんと聞くけど、「雑談だな」と判断した時点で話をほとんど聞かなくなる。

義父が健在の頃は(義父は交通事故で亡くなっている)ご夫婦で家業を切り盛りしていたのでとにかく忙しいし、夫婦というより共同経営者だったから家庭の中で雑談らしい雑談がなかったらしい。
夫も家族で笑いを取りあって笑ったり、意味のない雑談をダラダラした記憶がないと言っていた。
あと家族同士で褒めあうこともない。
欲もない。家族旅行をしたこともないし、親に何かをねだった覚えもないという。
淡々と家族生活を営み、健康で家業をまわせていれば幸せ。

それは確かにそうだ。間違っているところはない。
それに合う人なら全く問題なく、言葉がなくても幸せに過ごせるだろう。
ただ、私とは合わなかった。
私の話すことはほとんどが雑談だ。
つまり、私のギブはほとんど受け取ってもらえない。
夫はそんなことより家業をこなして私にも共同経営者になって欲しかったらしいが、私に夫の家業は合わなかった。
というか、そもそも田舎暮らしが全然合わない。

札幌で生まれ育った私は田舎の常識が全くわからないし、田舎独特の考え方に共感できるところもない。
夫と付き合いのある社長達の接待まがいの飲み会も嫌だったし、近所付き合いも親戚付き合いもしたことがない。
文化も芸術も哲学も音楽も、美しいものを美しいと愛でる人もいない。
色づく紅葉や稲穂や雪にこんもり包まれる木々、美しい夕焼け、「きれいですね」と言っても「そんなこと思ったこともなかった」と言われる。
基本的に周りにいるのは20歳以上年上。
「若い人が楽しいところなんてないでしょう」と言われた。本当にない。
あー、田舎ディスりに見えてしまうんだろう。違うんだ。私とは合わないんだ。これで8年苦しんできたから少し赤裸々に書くのは許してほしい。
でも頑張った。夫の家業を5年間頑張った。
5年経ったところで妊娠し、切迫早産で絶対安静になったのでそれを機に任されていた仕事を全てやめた。
仕事で褒められたことはほとんどなかった。

なぜなら上記の田舎暮らしへの不平不満が日常だったことと、朝どうしても起きられなくて始業を遅くしてもらったりなど私に特別待遇だったから。
褒められるべきことはいっぱいあったと思うんだけど、夫からは一度も褒められたことがない。義母さんはたまに褒めてくれた。
とにかく真面目で早起きで時間に正確で実直な人が良かったんだと思う。
私とは真逆。
私の長所である奔放で話好きで皮肉めいたものの見方をする聡明さ、美しいものを全力で味わう敏感さ、弱い者への愛、行動力…
これらは全て、ここでは何の長所にもならなかった。
なぜこんなに不向きな場所なのに離婚しなかったのかと思う人もいるだろう。
私の母は離婚して私と弟を一人で育てた。
その間ずっと「地獄だ、地獄だ」と言っていた。「お前らのせいでママの人生はおしまいだ」と言われていた。
離婚したらおしまいなんだ。取り返しがつかない。ここを出て恋しい札幌に帰ってもどうしたらいいのかよくわからない。あの母のようになるかもしれない。それは絶対に嫌だ。
その言葉が呪いになって私に絡みつき、離婚を選べなかった。
■自己犠牲ギバー脱却
・自分の中のテイカーからの搾取
・ギブを受け取ってもらえない家族との生活
我ながら「よく生きてきたねえ」と背中を撫でてやりたい。

この誤ったギバーの私が自己犠牲的でないギブの形を見つけられたのは息子が生まれてくれたことと、ユンギとの出会いがあったからだ。
息子は私が与えるギブをすべて全力で受け取ってくれるし、素晴らしい笑顔や明るい性格や行動で返してくれる。
ギブを与えれば与えるほど、まっすぐに受け取ってくれる。
この「まっすぐ受け取る姿」は私にとっては家族の中で初めて見るものだった。
当然だが、そこには何の価値観もゆがみもなく、私が渡したそのままを味わい、たまに気に入らなければ吐き出して何事もなかったかのように生きている。
なんて尊いことだろうと思うとともに、ああ、何かを受け取るってこれでよかったんだと教えてもらえる。
私がずっと人にしてほしかったのはこれだと確信した。
私のギブをただ、まっすぐ受け取ってほしかっただけなんだと。
ただ、与えるだけではやっぱり疲れてしまう。
毎日毎日息子には与え続け、息子からも愛をもらえるけれど息子が小さい頃はよくわからなかったし、正直消耗することの方が圧倒的に多い。
夫にはギブしている場合じゃないし、受け取ってももらえないし、夫は手伝いはするものの「誰かがやらなければいけないから」というスタンスなので「私に対してのギブ」ではない。
育児に、生活に、このまま息子以外にギブを受け取ってもらえない未来を思い、疲れ果てていた。
そこに現れてくれたのがBTSだった。
彼らと出会ったことで私は「人から与えられること」を知った。
BTSは本当に私たちに惜しみなく与えてくれる。
そして「与えあう日常」を見せてくれる。ここが本当に大きい。
日常的に与えあう関係はどんなに素晴らしいか、何に気をつかっているか、言葉にして思いを伝えることがどんなに大切か、それがどんな素晴らしい効果を生むか。
機能不全な家庭に育ち、機能不全な家庭で暮らしていた私には本当に「理想の家族」だった。
「僕も君たちと同じ悩める人間なんだ」と何度も何度も教えてくれる。
愛していると日常的に言われて、一緒に生きていこうねと言ってくれて、僕の音楽は君たちのためと音楽でしか生きられない人が言ってくれる。こんなギブがあるだろうか。こんなに大きな愛があるだろうか。
それが日常になった私は、すっかり「ギブを受け取ることができる人」になっていった。
これは息子の素直にギブを受け取る姿を見ていたからだ。順番が逆だったらここまで素直に愛を受け取れていたかわからない。
「いやいや、アイドルなんだからいいことも言うしお金払ってほしいから一緒にいてってそりゃ言うでしょ」
という風に思う人もいるのもわかっている。私もそうだった。というか何度も何度も疑った。
でも、何百回何千回彼らの愛を目の当たりにして、それが全部「嘘がなさそう」なのだ。人間のアンテナはそこまで鈍くないと思っている。
彼らは旅行企画などでとにかくずっとカメラを回されているし、過去の映像を見ても本当に膨大に「パフォーマンス外」の姿がある。それがとにかく「嘘がなさそう」。
もうここまでくると私は私のアンテナを信じるしかない。ひたすら裏切られ続けた敏感な私のアンテナが「どうやら大丈夫そうだぞ」と言っているのだ。正直これ以上の証明はできないが、これ以上の証明もないとも思う。
与えて、与えられて、「私」という人間が初めて表に出てきたような感覚で生きていく中で何気なくTwitterでアカウントを作り、そこで初めて私は「まあまあ面白いことが言える」ことと「洞察力が鋭い」ことと「おやおや?ギバーじゃない?」ということに気づいた。

私の優しい友人たちは会ったこともないのに私を肯定してくれて、愛してくれて、「あなたは与える人だ」と言ってくれる。

今私は世界一恵まれていると思う。
そして心から思うのだ。
「場所、タイミング、環境が合わないだけで素晴らしい長所を持っている人はたくさんいる」と。
その人たちがたとえ今の環境から物理的に脱却はできなくても、自分にはこれがあると胸を張れることを見つけるお手伝いをしたい。
そこまで力になるのはおこがましくても、「私はこんなことが辛かったよ」と書いて、同じ苦しみを持つ誰かの痛みを少しでも減らしたい。

これが今の私なりのギブの形だ。皆からもたくさんたくさん数えきれないくらいギブをもらっている。愛されているなあ、と思う。
だから今は、ギバーでよかったと思う。
勿論インターネット上でのつながりだけではなく、リアルな生活も改善できるように頑張る。大切な息子は私のギブをいくらでも受け取ってくれる。それに感謝して、大切に。
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