自己否定の快楽と、そこから抜け出したい話

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コラム
おそらくその女性は私のことが嫌いだった。

他の人にはしないのに、私にだけ度々噛みついてくる。

一度いじめられた人は環境を変えてもまたいじめられることがあると、どこかで聞いたことがある気がする。

自分はそんなことはないと思っていた。
私はもっとちゃんとした、もう少しマシな人間だと思っていた。
それは私の小さな最後のプライドだった。

十年引きこもってたって自分はちゃんとしたニンゲンなんだと
見る人なんていないのに誰にともなくそんな虚勢を張っていた。

虚勢の猫を被ればいじめられるなんてことは起こりにくかった。
いつも空気を読んで言葉少なに、誰も傷つけないように、お行儀よく愛想よく振舞って。






私はそこで虚勢の猫の皮を脱いだ。
少しずつ少しずつ、重ねられたその皮を脱ぐ度恐ろしく、それでも脱いでいくことをやめなかった。

その女性は時々そんな私に嚙みついた。
なぜ私がそんな目に遭わなければならないのか。
けれど私が何か間違っているのか。
猫を被らない私がいるからいけないのか。

噛みつかれて瞬間噛み返せる人は素晴らしい。倫理的には良くないが、今の私には素晴らしい。

私は噛みつかれると自分がわからなくなる。
強く握りしめた決意も、優しく接してもらった暖かな記憶もみんなわからなくなる。

世界で自分ひとりぼっちになった気がして、そんなとき甘えらるのは自分しかいない。傷つけるという形で甘えるしか。






私を嫌うその女性はまるで私の影だ。
もう自分を傷つけたり蔑ろにしない!と決め進もうとする私に、こっちの世界の方が甘くて美味しいよと誘ってくる。

あなたは生きる権利も価値もない空気だよ、ほらここの暗い空気はこんなに心地よい、とろんと脳が溶けそうな感覚、戻っておいでよ、こっちの方が楽だよと。

私は誰かに言葉で殴られると、反射的にそれに同意してしまう。
自分を蔑ろにして傷つけて安心する世界。

もうそういう薄暗い場所から抜けたい。
どんなに心地よくても、その快楽はもういらない。







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