陰キャなシャイボーイ

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コラム
ネタだとしか思われてないかもしれないけど、私の事です(笑)。病弱だったんで手はかかったみたいだけどおとなしい子だったみたい。幼稚園の年少時は半分以上休んだので習い始めたのは遅くなったけどピアノは聞かれるのが恥ずかしいのもあって全然練習しなかったし、発表会が男一人だけだったのも抵抗があった。今ならハーレム状態を大喜びしてるはずだけど・・・。小学校に入り、最初は給食をなかなか完食できず、食べるのも遅かった。そのため痩せてた。3.4年の頃から太り始め、当時はスカートめくりが流行ってけど学級委員になる前も参加できないでいた。相手の方から見せてくる痴女もいて「やめてよー!」とか言いながら横目でしっかりとみてたから既に「むっつりスケベ」ではあったのかも。高学年になり己は周り(庶民)とは違うなと言う事に感づきははじめた事もあっておとなしくしてた部分もあった。委員だからと言うより(遺伝?だと思うけど)外面がすこぶる良かったので。変わってるからと言っていじめが起こるような環境ではなかったけど時代もあってか親はみんなと同じじゃないといけないみたいな人だった事もあったので。中高一貫は男子校に入学。本命の共学2校はコンデションの問題もあり、唯一(抽選と)試験に落ちた。女子がいないのでかなり好き勝手にやってましたが、先生の前では猫被ってたし中学では生活委員の委員長もしてて精勤賞(3年間無遅刻だけど一日だけ休んだ)。足りない部分もあったので変わりたいと思っていてそれは受験が落ち着いた頃から取り組んではいたけど、周りの目は気にしたままだった。高校からは徐々になくなっていったけど、一年生の夏休みに英国にホームステイした事がきっかけだと思う。あちらの人は個性を尊重してくれるので。それで「高校デビュー」なんだけどその少し前から柔道の授業(男と組むの)が嫌でさぼりまくってて週末は近所の大学生と飲んでたから二日酔いで月曜は定休日。2学期そうそう「このままじゃ出席日数が足りなくなる」と担任に言われ、仕方なく月曜も朝から登校。進学校だったのでタバコや喧嘩・髪を染めてなくても遅刻・欠席が多いだけで不良扱い。授業中は当然のように内職(競馬の予想)。それで稼いでたから本当に仕事だった。悪い意味でかなり目立ってたので上級生達から学年で一番知られてかもしれない。人数が多いテニス部に移籍してたし。3年次はコース別に分かれ、私立文系だった。国語は主に小論文で古文は捨ててたのでその時間は世界史や英語の自習をしてた。その教科書を取り上げたのでその場で「返せ!」と言い奪い返した事もあったな。当時は内容がくだらないと一蹴してたけど、今考えると一生懸命授業してくれていたのに悪い事をしたなと反省しています。現国と漢文は得意な方だったけど、古文のハンデがあったのでセンター試験は世界史満点で英語もかなり良い点数(自己採点)だったと思うけど、受験科目に保険と音楽と体育は無いので一次で足切りされて本命の大学(最難関の学部)にも落ちている。話を戻し、己を変える為に目指していたのはシティハンターの冴羽りょうと明〇家さんま。後者は同じ(別れたかみさんや娘の)話ばかりするので「ダメだこりゃ!」と思って一時は引き笑いの練習とかしてたけどやめた。似てるキャラは(ジャイキリの)タッツミーや涼宮ハルヒ、桜木花道、モンキーDルフィーなど主人公が多いけど、なりたいのはのだめカンタービレのミルヒ(シュトレーゼマン)やワンピースのサンジなんで。リハビリ中はスイッチを切っていた状態だったから本来の陰キャでシャイな性格が出てたんだと思う。美少女のリフレ嬢は毎回指名してるくせにいまだに10秒以上目を合わせられないので根っこの部分は変わってないと思います。一月末に定期のバイトを辞めそろそろスイッチを入れないとな思ってニートの日にONにした。カラオケボックスで。タイトルはちょうど聞いてた曲の邦題になぞってつけたものです。そちらはTwitterの方で。豹変ぶりに困惑してるメイドさんも多いと思うけど真相はこんな感じかな。


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