「極上の孤独とは⁈💜」🎾🏸🎈🚴‍♀️⚔️🏓⛳⚾🏊😎😍

記事
コラム

(前略)
「孤独」をどう受け止めるか!
人によってさまざまだが、
「淋しい」「いやだ」「さけたい」ということの方が
日本人には多い気がする。
逆にある種の人種は、「孤高」「自由」「群れない」などと連想をして
「孤独」に惹かれて、一種の憧れすら抱く、私もその一人。

私は小学校二年生時に結核にかかったのだが、
当時はまだ特効薬もなく、二年間自宅の一室で栄養をとって安静に
しているしかなかった。
友達と遊ぶこともなく否応なく孤独だった。
つまり私は、幼くして孤独の楽しさを知ってしまったという事です。
誰にも煩わされることなく自分と向き合い自分自身を知ることは
極上の時間であった。
好きな本を読み、瞑想にふける。
今の私はこの延長線上にある。
一人の時間を孤独だと捉えずに、自分と対峙する時間と思えば、
「汲めども尽きぬ」本当の自分を知ることになる。
・自分はどう考えているのか!
・何をしたくて何をすべきか!
・何を選べばいいのか!
生き方というものが自ずと見えてくるのです。
そういえばこんなフィーリングの時に、よく公園に行って座っていたのを思い出す。
孤独ほど贅沢な愉楽はない!
誰にも邪魔されない自由もある!
群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く!
すると内側から”品”もにじみ出てくる。
そんな成熟した人間だけが到達できる境地が
「真の孤独」である。
昨今「孤独な高齢者は長生きできない!」などと言われており
実際にイギリスでは「孤独担当大臣」なるものが当時設立されている。
だが、孤独がいやだからと言って、
表面上他人に合わせて一緒にいることに意味があるのだろうか!
当然にこれはプライベート時間!
プライベート時間以外では、それなりに自分流の要領というものを
準備しておかねばならない!
確かに自分の事を孤独で淋しい人間だと考えると
それがストレスとなって寿命に影響するかもしれない。
しかし、人間誰もが最期は一人。
孤独を楽しむことを知っていれば、
一人の時間が何ものにも代えがたく、
人生がより愉しくなると私は考えている。
孤独死はかわいそう!
できれば孤独死は避けたい!と耳にすることがある。
本当にそうだろうか?
最期が誰から見ても孤独死であったとしても、
本人にとっては、充実した素晴らしい人生を送っているかもしれないのです。

「孤独な鳥の五つの条件!」
①孤独な鳥は高く高く飛ぶ。
②孤独な鳥は仲間を求めない。
そして、同類さえ求めない。
すなわち求めなくてもいいフィーリングを持ち合わせているという事。
あるいは求めて得た結果、求めずしてもいいじゃないかという境地になったから。
③孤独な鳥はくちばしを天空に向ける。
④孤独な鳥は決まった色を持たない。
⑤孤独な鳥は静かに歌う。
この中でも⑤は、
孤独を知る者のみが自分の人生を知り、
静かに自分の歌を歌う事ができるのだと.......!


💎孤独を味わえるのは、「選ばれし人」ということ!
孤独という言葉を聞いた時、
どう感じるかは人によってさまざまです。
日本人は和を以って貴しとなすです!
みなで仲良くするという価値観からすれば、
孤独は負のイメージになることが多いかもしれません。
学校では独りぼっちで仲間に入らずいつも遠くから見ている。
いい悪いではなく、こんな子が必ずいるものです。
原因は、体が弱いか心が弱いか!
もしくは両方かわからないが、疎外感を抱いている子供!
学校の通信簿で嫌な事は成績ではなく、いつも「協調性がない!」と
書かれていることだった。
協調性がないのではなくて、どうしても周りにうまく溶け込めないのだ。
病弱でしかも転校ばかり繰り返していたので
友達の作り方がわからなかったからだ。
しかし、楽しそうに遊ぶ子供を見ている自分が、私は嫌いではなく
いつも人と距離を置いているのが好きだった。
淋しくはなくてそうした姿勢を”かっこいい”とも思っていた。
孤独という言葉は、嫌いどころか、むしろ私にとっては近い友達であり
心地良かった。
私にとっての孤独のイメージは、
マイナスどころかプラスのイメージであり、いつも一人でいる人を見ているのも楽しかった。
小学校の放課後の運動場で鉄棒に寄りかかったり
ボールを蹴ったり、走ったりしている子を見ていると
同じように2階の教室の窓から見ている子がいる。
決して群れに参加せずに自分は遠くにいる。
親近感を抱いた!
名前を知らなくとも同類がいるのだと思った。
彼も孤独を愛しているからお互いに決して近づこうとはしない。
この種の子供たちは、生まれて死ぬまで自分は一人だと感覚(フィーリング)で知ってしまっている。
誰からか教わったわけでもない。
親や学校の先生が教えたわけでもない。
人間は、孤独な存在だと捉えることができる人は、
自分で考えることも知っている人だ。
自分で考え、自分で選び、自分で生きていくことを覚悟した
選ばれし人!
うぬぼれて言わせていただければ私もその一人である。
「選ばれてあることの恍惚と不安の二つ我にあり!」
これはフランスの詩人ヴェルレーヌの詩から引用した言葉!
真の孤独を知る人の心境をいい得ている。
多くの人はそうした孤独には耐えられない。
一人でいることに恍惚ははなく、不安ばかりで誰かと群れることで
手っ取り早く孤独から逃れようとする。
恍惚とは言葉を変えれば「誇り」(プライド)といってもいい。
孤独から逃げた人は孤独が嫌いになる。
孤独な人をかわいそうと憐れんで見る。
自分よりその人を下に見ることで安心する。
日本人は、とかく孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージが良くない。
孤立、孤食、孤独死と一人で行動する人を良く言わない!
孤独死など特に新聞テレビで特集して世の憐れみと涙を誘う。
日本では畳の上で死にたいという人が多く、
自分の家で家族に看取られて死ぬのが理想だと思われている。
私はそうは思わない!
他人にはわからずとも孤独でいることに誇りを感じる人は、
人として成熟しているのではなかろうか!
私自身がその境地に至っているかどうかはわからぬが
そうありたいと願っている。


💎集団の中で本当の自分でいることは難しい!
「孤独の”弧”の字は個性の”個”の字」と常々言っている。
真の孤独というものを知らない人は、個性的にはなれない。
「個」が育たない。
弧育ては個育てなのだ。
「弧」を育ててきた人は、気づかぬうちに「個」が育っている。
「弧」であることは手段であり「個」はその結果である。
「個」は長い年月をかけて培ってきたものだ。
「個」を育てるために費やす年月や努力は、はかり知れないが
その「個」が崩れる時は簡単である。
人と群れる、人のまねをする、仲間外れになることを恐れる
物事に執着するという事を続けていると
あっという間に「個」が失われていく。
折角育っていたものが容赦なく消えていく。
人と喋ることを楽しみ、人と同じものを良しとして
おおいに盛り上がった時には確かに楽しいが、後で一人になると
急にむなしくなるものだ。
先ほどの自分がウソだったように思えてくる。
先月も仕事先のスタッフと忘年会をやり
その一人一人が感性豊かで話をするのが快かったのだが
別れて車に乗るとどこかホッとする自分がいる。
好きな事をしゃべっていたようでいてどこかで他人に合わせている。
その座を白けさせないように無理をしている。
そんな自分に気づくと早く一人になりたいと思う。
本来の自分に戻りたくなるのだ。
孤独とは思い切り自由なものなのだ。
誰も気にする必要なく自由で満足感はあるものの
その時間をどう過ごすかの全責任は自分にある。
誰も助けてくれる人はいない。
私は、身震いするような厳しさに満ちたその瞬間が好きなのだ!
他人と一緒の時はぬるま湯につかったような気分で
そろそろあがらなければカゼをひくと思いながらも
一緒にいる人に悪い気がしてついつき合ってしまう。
そのなかで一人泰然(たいぜん)としている人を見ると
心惹かれる。
泰然とは落ち着いていて物事に動じない様子のことをいう。

男の場合でもうけようと次々に話題を繰り出す人よりも
無口な男の方が何を考えているのかと気になってくる。
宴会の席でもそっと抜け出して誰も気づかぬうちにいなくなる
男がいるものだ。人知れず姿を消す。
若いころからそういう男が気になった。
孤独に戻った瞬間彼はどんな表情を見せるのだろう!
個性的な人は多かれ少なかれ奇人変人である。
反骨であったり、他人に理解されぬ部分を残しているような男を
私は「まがりくねった男」と愛情込めて呼んでいる。
そういう人が減り、今は「いいね!」を押すような人ばかりが増えてしまった。
早くいえば、個性的でなくなったのだ!

女の場合で言えば、数人が集まった中でひっそりしているけれど
そこだけ光を放っているような女性がいる。
自分からしゃしゃり出てくることはないのに存在感がある。
そういう人は「弧」を知っている。
なぜ存在感があるのかというと、
人の中にいても決して同化することなく「自分は自分」という位置を保っているからだ。
黙っていてもそれは伝わってくるものだ。
ついそっちに目をむけ好感をもっている自分に気づく。
そんな女性もめっきり減ってしまった。
はっきりと自分の意思をいうのがいいが、何かというと
自分が自分がとしゃしゃり出てくるような女に魅力はない。
ゆっくりと醸成されるワインのように時間をかけて愛しみながら作られてきたものこそ美味と感じるものなのだ。
そうした「弧」の時間を持つことができているか?
自分に問いかけてみよう!
その上で少しでもその時間を増やしていく。
その努力なしには決して「個」は育たないし魅力的にはなれない!


💎孤独な人はいい出会いに敏感になる!
一人の時間は所詮他人と共有できるものではないはずだ。
ところが、その一人時間に考えたこと、感じたことが同じような
感性(フィーリング)を持っている人と話をしていて火花を散らす瞬間がある。
そんな時なんとも不思議な満ち足りた気持ちになる。
滅多にはないのだがそうしためぐり合わせに驚くことがある。
何とよんだらいいのか!仮に「ときめき」と呼んでおこう!
「ときめき」は、まえぶれもなくやってくる!
冬薔薇(ふゆそうび)という句を数年前に作ったことがある。
そういう出会いがあった。

軽井沢の山道でバイクに乗った二人の男性が
私の横をすり抜けて行った瞬間避けようと思わず左手をついた。
「ボキッ」という不気味な音と痛みが同時に来た。
直ぐに軽井沢病院に運んでもらい待合室で待っている間
痛さに嘆きながら耐えた。
そんな時私は静かだ。
文句を言ったり泣いたりは決してしない。
傷ついた自分と向き合っている。
痛みを口にしても他人にはわからない。
じっと黙ったまま自分がどうするかを観察している。
傷ついた猫のように泣きもせずうずくまる孤独な瞬間!
久々に病んだ自分を見つめる機会に恵まれた。
応急の手当とギプスをしてしまえば自然に治るのを待つしかない。
足の骨折は両方とも約一か月でギブスがとれた。
ほとんど後遺症というものがなく元通りになったので
仕事も一日も休まずに出かけた。
自分でしでかした傷は自分で治すしかない。
ネコをはじめ獣たちは、自分の傷は自分で治す。
じっと待つことも大事だ。
”サガン”という私と暮らしていた猫は、
具合が悪くなった時一週間何も食べなくなった。
口元を水で浸してやり医者に来てもらって注射をしたが
半分くらいに痩せてしまった。
抱き上げると毛皮のようにふわっと軽くて”ハッ”とした。
一週間目の夜、キッチンにいた私のもとによろよろとやってきて
小さな声で鳴いた。
試しにキャットフードを置くと食べた。
一週間が嘘のようにそれからみるみる回復をした。
ネコは孤独を知っている。
じっと自分の体の声に耳を澄まし、徐々に命がみなぎってくるのを待っている。私も猫を見習いたい!
左手首は、レントゲンをとると、とう骨と尺骨の両方が折れていて
手術が嫌いなのでリハビリで治すことにした。
一日おきぐらいにリハビリに通う中で、「思いがけない出会い!」があった。
その時間が楽しみでせっせと通った!
手は足のように簡単にはいかず治るのに一年近くかかったが
普通に使えるまでに回復した。
孤独の中で感性を研ぎ澄ましていると
心が通じ合う人をすぐ見抜くことができる!


💎孤独を刺激する若い友人を作る!
年を重ねて孤独を感じることが多くなったら
その孤独を一人でじっと味合うのもいいが
時には刺激も必要になる。
刺激してくれるものは色々あろうが、人との会話は大切だ。
とはいえ年をとった者同士!
同じくらいの年代やそれより上の場合、
刺激にならず、お互いに愚痴や文句になってしまいがち!
年を重ねてからの多い会話と言えば
まず健康の話ということは病気の話。
どこが”痛いの辛いの”といった会話だ。
自分の体の衰えてきた部分を話しお互いに共有しようとする。
他の人も同じように病んでいることを知ってひそかに安心をする。
「同病相哀れむ!」というよりも
「異病においても相哀れむ!」ことになる。
実際は、相手の病気の話を聞くことで倍の重さとなってもどってくるのだが!

できるだけ病気の話は避けたい!
最近は老々介護も増えて介護の話題も多くなってきた、と言うが
情報を交換するのは必要だとしても、あまり深入りして
お互いに奈落の底に沈まないように!
できれば元気な夢のある話をしたい!といっても同じ相手だと!
自分より若い人にするのだ!
それも十歳以上、いや三十から四十違ったっていい!
年のギャップがあればあるほど刺激は大きくなる。
思いがけない話題で驚くのもいいことだ。
友人は若い人に限る。
年取った友人は、遅かれ早かれいなくなる。
若い人ならばその確率は減る。
年取って親しい友人を亡くすくらいショックなことはないから......!
ショックを少なくするためにも若くて元気な人がいい。
私は、義母の見舞いに老人ホームを訪れるたびぐったり疲れるのはなぜだろうと思っていた。
そこにいる人々の年の重みだ。
それが肩の上にのしかかってくる。
逆に若い友人と話していると元気をもらう。
年が違うと「話が通じない!」という人がいるが
だからこそ新鮮な驚きがある。
若い相手も自分の親がそれ以上の人と話す機会が少ないから
発見があると言ってくれている。
しかも全く違う環境で生きてきた人ほど、
新しい世界を見せてくれることがある。

寂聴さんのところの二十代の秘書のかたも、
寂聴さんを見ていて驚くことばかり!
私ともお互いに新鮮で、そのことを秘書の方がつづった本が出版された。
何も同性である必要はない。
異性であってもパートナーとして暮らすという事があっても
素敵と思う。


💎「スマホ」が淋しさを助長する!
「孤独は山にはなく街にある!」
孤独を求めて山に入ることは修行することである。
仏教でもキリスト教でも悟りの境地を得るために
深山(みやま)に分け入り岩をうがって修行した。
その時、彼らは何を考えていたであろうか?
ひたすら仏を求め神をもとめ無我(諸法無我)の境地に入り込んで
いたに違いない。
心は満たされ、狼の遠吠えも気にならない。

むしろ街にいるとき、大勢の人が自分を取り巻きせずに通り過ぎて行く。
その中で誰一人とも心を通わさず、言葉を交わさず
あ~あ自分は一人だという隔離された気持ちと疎外感に
さいなまれて、いてもたってもいられなくなる。

つまり、他人とのコミュニケーションの手段が増えれば増えるほど淋しさは
増すのです。
友人とラインで繋がる。
いとも簡単に返事が返ってくる。
そこで心がつうじたと感じるだろうか。
うまくいっている時はいい。
恋人同士でも友達同士でも、仲良く会話ができた時はいいかもしれないが
そうはうまくいかない。
いつまでたっても返事が来なかったりすると、
”気でも悪くしたのだろうか”
”病気でもしているのではないか”と気にかかる。

私も大切な数人の友人とはLINEをしているが
うまくつながらない時の辛さと言ったらない。
待つのも辛いがうるさくいうのも気が引ける!
ただ、気ばかり焦って落ち着かない!
便利なツールができればできるほど、
人間の気持ちというものは、追い詰められていき余計な事を考えて
不安になる。
返事が来ない時の不安、返事が来た時の安堵感!
スマホという工業製品に振り回されるのは嫌いだ!
二人でLINEをする場合のみならず
数人あるいはグループでLINEをしている時など
自分だけ仲間外れにされたり、「ウザイ!」だの「死ね!」などと言われたら
どんなに傷つくか想像に難くない。
たいした意味がなくとも、とても耐えられずに自殺などという手段をとる
原因にもなる。

かつては、自殺の原因は自らの存在への疑問など
本人の悩みが大きかった。
今では、人間関係が主な原因になってしまった。
たかが人間の考え出した、スマホ(工業製品)に
自分の大切な一生をじゃまされてなるものか!
一度マジにスマホから離れて見たらどうだろうか!
実際にプライベートではスマホを持たず、あるいは使わずとも
幸せに暮らしている人は大勢いる。
そうすれば、美しい自然に満ちあふれているこの世に気づいて
日の光、風のそよぎに心慰められるはずです。

私が審査員を務める旅のエッセイ賞に
イギリスのケンブリッジに短期留学して
初日にスマホをなくした体験談を書いてきた学生がいた。
電話、メールなどの手段をなくし、
いちから慣れぬ英語で人間関係を気づいていく。
その涙ぐましさ、おかしさのひとつひとつが、
彼の血となり肉になって行く。
彼の留学中、スマホを持たずに生身で人とつき合う事から始めた。
それは大きな財産となり、帰国してからも
他人に安易に振り回されない強さというものを身につけたはずである。
エッセイ大賞に選ばれたのは、もちろんである!


💎アイボ君で孤独は解消する!
テレビを見ていたら
NHK~民放まで軒並みアイボ君が戻ってきたというニュースをやっていた。
アイボ君とはロボット犬の事で、
ソニーが作ったアイボ君はしばらく前に発売された。
人気を集めた。

手に抱くことができるほどの小型犬で
その姿からして愛らしい。
名前を呼ぶと反応もするし吠えもする。
体を自由に動かして、お座りもするし、お手もする、のびをしたり
ボールと遊んだりと実によくできている。
表情がもの言いたげで、抱きしめたくなる愛らしさがある。
作り手が愛情込めて個性を大事に作り上げたのだろう!
私も正直言って欲しいなと思った。
こんなのがそばにいたら
面倒くさい感情がないだけに面白いかもしれない。
製作者の話によると
情報をたくさん与えれば、知識も増え感情も生まれて
老後のパートナーとして最適かもしれないという。
その証拠にかつてアイボ君を求めた人々が、
どこか故障すると病人を介護するかのごとく
面倒を見て修理を頼んでいるという。
一時製造が中断したために修理をあきらめていた人々もいたが
これも再開した。

何故今アイボ君なのか!
それだけ一人一人が切り離されて孤独なのではないか!
孤独を癒すためにいやでも他人と繋がらねばならず
アイボくんのような相棒がいればどんなに心が安らぐことか!
AIの技術もどんどん発達しているだけに
これからどんなロボットが登場するのか楽しみでもあり恐ろしくもある。
犬に限らず、猫、リス、鳥などの愛玩用動物のロボットが登場しても
不思議ではない。
そのうち会話が可能になれば下手な人間よりはずっとパートナーとして
適しているかもしれない。
ペットレスの淋しさは、人間以上という人もいるくらいだから
その悲しみは背負わなくてすむ。

しかし、本当にそうだろうか?
アイボ君を見ているとそれではすみそうにない。
もっともっと精巧になれば、こちら側の感情も刺激されて
平気でいられるとは思えない。
子供の頃、愛して扱っていた目を開閉する人形(りかちゃん人形)の事を
考えて見ても、
AIだからといって、感情移入しないとは限らない。
最近聞いた話では、
ペットロスに陥った人の為のクローン犬やクローン猫も
できつつあるとか!
はたしてそこまで行っていいのだろうか⁈


💜皆さんに幸あれ~💜!!!





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