「五歳児の大人&その周囲の人達へ!」🎾🚴‍♀️🎃

記事
コラム
◆五歳児の大人とは、子供のまま大人になってしまった人のことなのです。
大人になりきれない人とはどういう人なのでしょうか⁈
自分一人が生きるのに精いっぱいなのに、社会的責任を負わされて生きるのが
辛くて、どうにもならなくなっている人の事です。
特に、五歳児の父親です。
日本全国どこへ行っても「生きるのがつらい」人の事です。
ノイローゼ「パワハラ」の親に育てられた子供は、心理的成長の機会を失います。しかし、生まれて40年経てば、肉体的にも40歳です。
そして、社会的にも40歳です。
心理的に5歳でも、肉体的、社会的には40歳なのです。
社会は、この五歳児の大人に40歳の大人の義務と責任を求めてきます。
このことがどれほど辛いことであるかは、
「愛されて育った人には、想像を絶するものがあるのです」。
単的に言うと五歳児に40歳の男が持つ重い荷物を持たせて歩かせるという事です。周囲の人は、誰もが当たり前のように、この五歳児に重い荷物をもって歩くことを求めるのです。
五歳児の大人がそれを重いと言えば、周囲の人から袋たたきに合うのです。
心の成長がある段階で止まったままで、社会的に過剰適応しているのが
五歳児の大人です。
ですから、時に真面目ですが、「心は、優しくない」のです。
「人は、心が満足するから優しくなれるのです。」
五歳児の大人たちは、心の満足がないまま社会的に適応を強いられているのです。
五歳児の大人は、「疑似成長の人間」なのです。
無理に社会的に適応している人は、生きるのがつらいはずです。
そして、毎日が不満のはずです。
社会的には、立派に見えます。しかし、「心が貧しい」のです。
心理的に健康な大人と一緒にいると、相手も豊かな気持ちになります。
しかし、五歳児の大人と一緒にいると、
周囲の人間は、「緊張」してしまい、「パニック」になるのです。
人間の道理です。



◆五歳児の大人の特徴について!
五歳児の大人は、全てを我慢して生きてきた人です。
生きるのがつらいと同時に他人に厳しいのです。
生まれて死ぬまで自分の自然を許されないで生きるのが当たり前のように
周囲から期待された人です。
人間でありながら、人間でないことが当たり前のように周囲から期待されたひとの事です。
人を呪い殺したいほどに憎むように育てられながら、
人を愛することが当たりまえのように期待された人でもあるのです。
人に徹底的に傷つけられながら、人に感謝することが当たり前のように
周囲から扱われた人の事です。
五歳児の大人の特徴としては、
「生きるのが辛い」&「心の底の憎しみ」です。
五歳児の大人にすれば、「あなたは父親でしょう!」と言われても
それより先に「俺の気持ちを汲み取ってくれ」となるのです。
それは、許されない事なのですが.......!
五歳児の大人が、親になった時に残されている道は、
極端に言えば、「神」になる事だけです。
「神」になれない人は、良くて無責任な親になります。
多くの場合は、子供に甘える親になるのです。
自分は、親から愛されないで育って、今度は子供から父親だと言われても
「俺はどうなるのだ」という事になるのです。
「親の無関心の中で育った俺は、父親などにはなれない」と思っているのです
この五歳児の大人が、今の日本には、たくさんいるのです。
しかし、中には、身体も大きく成長していない五歳児もいます。
無責任に快楽を求めて生きる子供の能力しかないのに
社会的には、責任ある立場に立たされてしまうのです。
子供の心のまま、大人らしく生きられる魔法の杖を求めるが、それも
見つからない。故に、生きるのがつらいのです。
「パワハラ」行動をするようになるのです。
自分の子供が池に落ちて何もしないでいたところ、警察が助けてくれた。
父親は、そのままどこかに消えてしまった。という話を目にしました。
この父親は、どうしていいのかわからなかったのです。
五歳児の父親です。
人間は、愛する人がいないで仕事すると自分を奴隷と感じるのです。
人が、燃え尽きるのは、努力が報われないからです。
生きることが楽しくなく、つらいだけだからです。
仕事が、ハードでも面白ければ燃え尽きません。
燃え尽きる人は、仕事が嫌い、周囲の人も嫌い。
それを認めない!
つまり、好きなふりをしてしまう。演じてしまう。
これは、辛い努力で消耗するのみです。
キライな人から逃げようとしても、逃げられない。
それは、自分が周囲の人を嫌いだと認めないからなのです。





◆「ひきこもり」が生まれる背景について!
たいていの人は、見えるものの違いにしか注目しないから、
五歳児の大人を理解すことはできません。
ハイハイからヨチヨチ歩きに変わろうとする赤ん坊が、立ち上がって
二三歩、歩くと「わースゴイ、もうちょっと」と少し先で手を出します。
十メートルも先にいて、手を差し出しては、歩いてこれません。
しかし、今の社会は、心理的にはこんな幼児にマラソンを要求するような
事をしているのです。
だから、人も社会も挫折してしまうのです。
ひきこもる若者も出てくるのです。
育児ノイローゼになる母親も出てくるのです。
今の母親は、できないことを要求されています。
今の時代、あまりにも心理的年齢と肉体的年齢のギャップが大きくなりすぎていると感じます。
経済的な事、肉体的な事では、この世の中は、弱肉強食ではありません。
少なくとも、倫理的には否定されています。
実際に暴力が使われたとしても、暴力はいけないという倫理は、存在します。
しかし、心理的な世界では、間違いなく弱肉強食です。
どんなに五歳児大人が一生懸命しても、その努力の誠意は、認められません。
必死で歩いているヨチヨチ歩きの幼児を「どうしてそんなに遅いんだ」と
殴る人はいないでしょう。
しかし、心理的世界においては、そうしたことは日常的に行われているのです。
そうしたヨチヨチ歩きの「大人」は、必死になって努力しても
その努力したことを認めてもらえず、怠け者と批判され、自分はダメな人間
だと自分をさげすんで死にたくなるのです。
これ、「パワハラ」です。
人は、見えない部分を分かってくれた時にうれしく感じるものです。
五歳児の大人(パワハラ人間)は、子供の時からこのような喜びの体験が
ないのです。



◆五歳児の大人だったカルト集団の教祖(愛されないで育った人の悲劇)
この教祖は、どうしても父親を乗り越えられない。
彼は父親の期待に応えたかったのです。
そして、勝手に自分で父親の期待に応えられなかったと思い込んでしまったのです。
教祖は、自分の父親との関係が完了しないまま同性愛者になり、六十五歳になり、その過程で結婚をし、子供までできたのです。
そして、孫までできたのです。
彼がこの世が終わってくれと願うのは、当然の事だったのです。
自分が同性愛者であることがイヤで、自ら宗教を作ったのです。
昔は、真面目な少年で、自分に存在感があった。
しかし、社会的年齢が上がっていくに従って、社会的責任も増えてきます。
それに耐える心を持っていないので、故に辛くなってカルトに走ったのです。
まだ、心理的には、幼稚園の砂場で遊んでいる年齢なのに、
35歳で一家の大黒柱の役割を負わされたら、死ぬしかないと.....!
そうなれば、生きることは喜びではなく、辛さでしかないので
このことが、カルト集団に走った理由なのです。
五歳児で親になってしまったら、親子の会話ができないでの親の役割を
果たさなければならないのです。
「家族がいていいですね」と思われるかもしれませんが、五歳児の父親には
家族は地獄なのです。
彼は、そこで、そういう人達を集めて、生きていく以外にはなく
カルト集団を作ったのです。五歳児大人の集団です。
五歳児に子供を育てろと言っても、無理なのです。
孫におじいちゃんと言われたらもっと困るのです。
それから、結婚生活と独身生活とを全く同じものと考えていたと思われます。
心理的な生活能力はないが、立派な人でいたい。皆からも認められたい。
そこで、この俗世とは違う「真実」を叫ぶのです。
「血縁を切れ」と......!
心理的には人から保護してもらわなければ生きていけないのに人を保護する
立場になったのです。
本当に必要なことは、幼稚なまま生きるしかないと教えてあげる事なのです。
人間の憎しみ、怒り、不満、情緒的成熟とかいう感情的な事を教えてあげれば
立ち直った可能性はなきしにもあらずです。
心の底では、自分が人間として、何か欠けていることを知っていたに違いありません。そのかけた部分を補うのは、牧師になる事ではなく
幼稚に生きることであると教えてあげれば立ち直れたのかもしれません。
人は、自分を愛してくれて、自分が好きな人がいるから
「こんなことをして、あの人を悲しませたくない」と思うのです。
だからこそ、社会的正義を守り、社会的正義に叶った生活をするのです。
それなのに、憎しみしかない人間にどうして、責任感とか、社会的正義を
期待できるでしょうか⁈





💜五歳児の大人が五歳児でなくなるには、
「自分の人生の目的をつかみ追い詰められた感情から解放され、」
「こんな自分がたまらなくイヤだ」と思うようになれば、
もう出口は近いのです。
そうです。自分と向かい合える心理状態(無の清らかな心の状態)
という事です。
同時に、五歳児の大人に苦しめられている周囲の人が
五歳児大人がこれほど困った人間なのかを理解できれば
救いになると思うのですが......!



💜心理的に健康な大人は、何事も興味から入って、満足して
それらを卒業してきた人の事です。
故に、生きるのが楽しいし、他人には優しいのです。
愛されて育った人は、心理的に成長し、その結果として、社会的に
適応している行動をとりながらも、満足しているのです。



💜子供を育てる事に喜びを感じることができる人は、
「与えることに喜びを感じる」ことができるまでに心理的に成長した人です。
「愛する能力」を持っている人です。
心理的に成長した人にとって、子供は、自分に喜びを与えてくれる存在となるのです。
「愛する能力」を持っている人にとって、子供を育てることは、
生きる事そのものなのです。
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