最愛の妻を失った父を救え

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桜sakura297
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こんばんは~☆彡
皆様いかがお過ごしでしょうか。sakuraです(*‘ω‘ *)

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ブログ第三回目の今回は、私sakuraが、母の死後、毎日涙を流して落ち込む父を型破りな方法で立ち直らせた驚くべき行動~さらに今現在のsakura家に至るまでの経緯~についてお話していきたいと思います。

世間一般では落ち込む家族を支えるとき、傍に寄り添い、相手の心の声に耳を傾け、同調してあげ続けることが立ち直りへの第一歩かと思います。

わたしも初めはそのようにしていたのですが、それでは解決できないのが、わたしの父でした。

母の死後、父は本当に涙することが増えました。

「おかえり」と笑顔で自分を迎えてくれる妻がもういない・・・
一人でいることが寂しい・・・
真っ暗な家に帰るのが辛い・・・
だれかに話を聞いて欲しい・・・

全て家のことは母に任せていた父は、自分でご飯を作ったこともなければ、洗濯もしたことがない仕事ひと筋40年のザ・昭和な仕事人間です。

仕事から帰れば、上げ膳据え膳の生活を長期に渡って受け続けてきた父は、母の闘病中に少しは自立したものの、お弁当を買って食べることは出来ても、自ら料理を作って食べることは、まずありませんでした。

『一人になったのだから、自分で全てやらなくては・・』

そうは思っても、何より気力が沸かないのです。
誰かのため、何かのために目標があれば、それに向かって頑張れるけれど
父は最愛の妻を失い、生きる目標を失っていました。

『早期退職して、旅行三昧したいね』

母がよく父にそう言っていました。

母は北海道が大好きで、私たちの住む地元九州と北海道は本当に何もかも全然違うと、年に数回、夫婦で北海道旅行に行っていました。

『キャンピングカーを買って、孫ができたらみんなで出かけたい』

壮大な夢は父の生きる目標だったのかもしれません。

父がお酒をのみながら、涙をこぼし、母との思い出や、母にもっとこうしてあげたかったと自分を責めたり、寂しくてたまらないとうなだれる日々。

父は眠れない日が続くようになり、かかりつけの医院で睡眠導入剤を薦められました。もともと細身の体は、精神的苦痛により、さらに細くなっていました。

わたしは、父のために自宅で作った料理を大きなタッパに詰めて実家へ向かい、なるべく一緒に居てあげる時間を作ったり、自宅へ帰った後も夜遅くまで電話で話を聞いてあげたりしました。それは数か月続いたと思います。

『sakuraのおかげで今日はよく眠れそう。遅くまでごめんね。おやすみ。』

父を慰(なぐさ)めることで、私は行き場のない自分自身の悲しみを癒そうとしていたのかもしれません。
でも、父にとって娘の私では母の代わりは務まらないと心のどこかでずっと感じていました。
そして、まだ56歳と若い父にこれから先ずっと一人でいなさい、と言うのも可哀そうだと感じていました。

父は息子夫婦に甘えることは端(はな)から考えておらず、嫁にやった娘にも、もちろん甘えたくはなかったようです。

だけど、辛くて辛くて、
「sakura、もうお父さんのことは大丈夫だよ」
と言えない状態でした。

わたしはどうにかして今の状況を変えなければ、このままみんな共倒れになってしまうと感じていました。

わたしも自分の家庭があり、小さな子どもが二人いる身で、いくら近所に暮らしているとはいえ、父の心や生活を支え続けることには体力の限界を感じ始めていたからです。

ではどうして父は立ち直ったのでしょうか。私sakuraがある場所で出会ったひとりの女性が鍵となります。
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