嫌われ者の父

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皆さん、お疲れ様です。

私の父への思い出は
小さい頃、動物園の帰りに
おんぶをしてもらった事と
高校生の時に彼氏と電話してたら
ストッキングを頭から被り
邪魔しにきたことしかない。

THE亭主関白の鏡のような人
母の事を完全に家政婦だと
思っていていつも偉そう。

口ばっかりで、何もしない人。

今でも、1年でトータル
10分くらいしか口を
きかない美原ほなみです。

30歳過ぎるまでは
父と口喧嘩をよくしていた。

高校生の時は、殴り合い
蹴り合い、罵り合い
本当に嫌いだった。

あまりにもむかついた時は
父の下着をビリビリに破り
父の食器を全部割ってやった。

でも、片づけたり
買い換えるのは全部母。

「お前の育て方が悪い」と
言われる始末。

これは無意味だったと
反省した。

その代わり、母には
一度も反抗したことがない。
母はいつも味方になって
くれて感謝しかない。

姉や母と父が亡くなった時
泣けないよね。
でも家族が泣かないのは
不自然だからとりあえず
ハンカチで目頭押さえて
おこうと相談している。

そんな父のお話。

12年ほど前
姉もまだ結婚生活をしていた。

父と母、私と旦那、姉夫婦と
それぞれの子供達
総勢12人でホームセンターに
行くことになった。

この人数だと、車が2台必要。

我が家と姉の車を出すことに。

どっちの車に父を乗せるかで
軽く揉めたが車の大きい
姉の車になった。

到着すると、早速母から
父と姉が車内で大喧嘩に
なったと聞いた。

私よりも、姉との相性が
最悪なので特に驚きも
しなかった。

原因は、父の得意の
上から目線発言に姉が
キレたらしい。

なんとか無事に買い物も済ませ
みんなで実家に帰宅。

買った物を広げたり
公衆電話からの間違え電話
しかも留守電まで残した
おじさんの謎のメッセージを
聞いて大笑いしたり
楽しく過ごしていた。

すると当時の姉の旦那が
「そういえば、お義父さんの姿
 だいぶ見てないですよね」
と言ってきた。

確かにいつもはリビングのソファに
のけぞって座ってるのに姿がない。

すると
母「ほなみの家の車から
  降りて何処かに
  行ったのかしら?」

私「えっ?
  家の車に乗ってないよ。
  お姉ちゃんの車の
  間違いでしょう」

姉「えーっ
  喧嘩の時帰りは
  ほなみの車に乗るって
  言い出したんだよ。
  だからてっきり
  乗ってると思った。」

母「ほなみに言うの忘れてたわ」

60歳過ぎた父は
遠いホームセンターに
1人取り残された。

私「ちょっと、待って・・・
  さっきのおじさんの
  公衆電話からの
  間違え電話ってもしかして」

留守電ボタンを押してみた
「おーい
 何で置いていくんだよ。
 おーい。おーい。」

さっきは、おじさんの謎な
メッセージだと思っていたが
間違いなく父の声だった。

旦那2人は、焦っていたが
私・姉・母は大爆笑で
スッキリした。
日頃の行いが悪いからだ。

その後、40分ほどして父は
超不機嫌で帰ってきた。

母の
「アナタ大丈夫だった?
 心配したのよ」
迫真な演技に女って
怖いと心から思った。

その事件依頼
旦那がますます優しくなった
気がする。

年をとって、私や子供、孫に
忘れ去られるのがよっぽど
怖いらしい。

父は、その後も変わることなく
相変わらず家族の嫌われ者と
なっている。

でも、気づいてないのか
本人は毎日幸せそうだ。
それはそれでよかった。

実はあの出来事は
母の確信犯だったのでは?
未だに疑ってしまう。

それはそれで母よくやった!
では~
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