記事
コラム
母が肺腺癌と宣告されたとき、母は近くの花屋さんで枯れた桜の植木を買ってきた。「枯れているのに、買ってきたの?」そう聞くと、「花屋さんがね、この木はもうだめだから破棄するって言うから、譲ってもらったの。でもね、お母さんは信じてる。この桜も、毎日言葉をかけてあげればきっと咲く。」

母は玄関先に置いた植木鉢に毎日 愛でるように話しかけていた。
4月になっても、桜の植木鉢は枯れたままだった。
6月に長女が結婚し、お色直しの付き添いは母が手を取り会場を後にした。
抗がん剤治療で髪は抜け、やせ細った体だったが、絶えず笑顔で嬉しそうだった。式が終わり、治療の為入退院の繰り返しで母はやつれていく。
相反するように、長女のお腹の子はどんどん大きくなっていた。
9人の孫の中で、1番愛情に飢えていた長女。そして1番可愛がっていた母。
「ひ孫の顔を見るまでは」と母も治療に耐えた。
2月19日、長女の所に女の子の天使がやってきた。
産後は実家で1ヵ月過ごす事になり、母も喜んだ。
そして、その春 枯れた桜の植木鉢が1輪の花を咲かせた。

母は言った「ほらね。何でも愛情をもって話しかけてあげると、元気になるの。この世のものすべて生きている、人間に与えられた対話という手法で勇気も元気も愛情も伝えられる。勿論、誤れば凶器にもなる。こんな病気になって、初めてあなたの痛みがわかったような気がする。至らないお母さんでごめんね。動きたくても動けない辛さ、どんなに もがいても思い通りにならない自分の心とあなたはずっと一人で戦っていたのね。頭ではわかっていても、昔のあなたの笑顔が忘れられなくて、一刻も早く戻ってほしいと願っていた。でもそれが逆効果だとやっと気づいたの。。

抗がん剤治療でね、痛くて苦しくて いっそ早く楽になりたいって何度も思った。笑う事なんて到底できない。看護師さんに「大丈夫ですか?」と聞かれても、大丈夫なわけない!あなたにこの苦しみが分かるの?って心の中で思ってた。吐き気・頭痛・震え・倦怠感、どうしようもない体に自分が憎らしく思った。でも、月穂はずっと耐えてきてたんだね・・・
今頃になってわかるなんて・・本当にごめんね。。」
そう言う母に私は抱きついた。
「お母さん・・ごめんなさい。こんなになってしまって、ごめんなさい。反抗ばかりして、優しくしないでごめんなさい。」
「いいのよ。私の最後をあなたが見届けてくれる。最後の人生をあなたと過ごせる。かわいい孫の赤ちゃんまで見せてもらって、こんなに幸せなことはないのよ。次男も、おばあちゃんにとっては癒し男子だし、こんなに幸せでいいのかなって思っているよ。」
私は今にも折れそうな 母の体を強く抱きしめた。

母が「味がしない。」と吐き出していたのは、味覚障害が起こっていた事がわかった。私は母が好むものをたくさん作った。食べたがるものを買いに走ったり、食事にも出かけた。
母は少しふっくらとし、回復しているようにも見えた。
孫やひ孫との写真もいっぱい撮った。1日1日を後悔しないように。
前へ前へと進めるように・・・
IMG_0159 - コピー.jpg





サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す