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仕事は何とか軌道に乗ってきていたが、FacebookやTwitter・インスタの繫がりがものすごく負担になってきた。コメント返信をしなければいいことだが、仕事アカウントでもあったので誠意を見せたかった。でも、1回の投稿に300ものコメントが入ると、返信だけで1日が終わる。。

その頃の母は、体調が著しく悪くなり 背中の痛みや体のだるさを訴えてくる
咳も酷くなってきていて、検査を受けたが喘息と診断された。
背中をさすったり、かゆみの為全身に薬を塗ったり と自分の時間がどんどん減っていく。ヘルパーを頼もうかとも思ったが、母は拒否をした。
父の時、悪質なヘルパーもいて 父の下の世話をしながら「若いころ女泣かせだったでしょ。いいもの持ってる。」などのセクハラ発言。掃除が面倒だからと買い物に行ってくると言って、時間いっぱい買い物に費やす人。そういう人達を見てきたから、母は頑としてヘルパーを雇いたがらなかった。
その分の負担は、私にかかってくる。自分の心と体のコントロールも難しいのに、その上仕事が入れば睡眠時間も削っての作業になる。
口達者な母には、何度もイライラさせられたが口論しても何もならない
こちらが我慢するしかない。聞いていないふりをし、適当に相槌を打つ。

ある日母が耳の鼓膜が破れるような音がしたという。すぐにかかりつけの耳鼻科に行った。先生は診察と同時に紹介状を書き、すぐに大きな病院での検査を勧めた。 結果は、「肺腺癌ステージ4」余命4ヶ月。
「治療はせずに、緩和治療しましょう」と言われたが、母は治療を決意。
一旦入院し、抗がん剤治療が始まった。
母が入院中は、兄夫婦に母の介護を頼んだ。兄夫婦の会社が病院の真横だったから、こちらがバスを使っていくより都合がよかったし、こんな時ぐらい面倒を見てほしかった。
長女は、おばあちゃんにひ孫を見せたくて当時付き合っていた彼氏と結婚を前提に、子供を授かった。おばあちゃんには、「子供が生まれるまでは生きていて」そう言いながら結婚式を挙げた。母は、結婚式に参列し1番可愛がっていた孫が結婚すること、ひ孫が出来たことを心から喜び、ひ孫の顔を見るまでは生き抜くと誓った。緩和病棟に入ってから、看護師さんや同じ患者さんを励まし続けていたという。
ある日、兄から連絡があった。「近々、痛み止めの点滴を始める。それが始まると、意識は無くなり話すことも出来なくなる。今のうちに、話したいことがあれば病院に来て。」そう言われ、私たちは代わる代わる病院を訪れた。
次女も東京からやってきて母と話した。もうすでに点滴は始まっていたが、母は子供や孫が来ると目を開け手振りで「がんばれ!」と励ました。
東京にいる 長男にもライン通話で顔を見せ話した。
母は振り絞るような声で「応援してる。頑張れ。」そう言った。
母の強さとは何だろう・・死を目前に、なぜみんなを励ますのだろう。。
母の生き様を初めて見た気がした。
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