生き抜く

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次女は、私の弟のマンションで暮らし始めた。
それと同時に、夢でもあった女優業も始めた。
自分たちで劇団を作り、「ヤマアラシ」というユニット創作を展開した。
勿論、それだけでは利益にはつながらない。
映画のオーディションを受け、主人公を演じたり、自ら撮影をし写真集を出版したり、個展を開いたりした。業務は多忙を極め、独立の為辞職した。
そのまま務めていれば安定した収入と将来は約束されている。
プロのカメラマンとして生計も立てられる。
しかし彼女の野望は、それだけでは留まらなかった。
あくまでも、「アートで世界を笑顔にしたい」それが彼女の最終目標。
綺麗ごとなど言ってられない、たくさんの人に手や知恵を貸してもらい
自力で前に進むしかない。
弟夫婦の所は1年ちょっとで引っ越し、お風呂もキッチンもないボロアパートに引っ越した。活動するには、一人の空間が必要だったからだ。

長男もまた、拾っていただいた会社で本領を発揮し始めた。
すぐにチームリーダーになり、業績を上げ何人もの部下を持ち仕事で全国を飛び回った。
そう・・コロナが蔓延するまでは・・・

私は、独学で勉強したことを生かしたく、個人経営に乗り出した。
その頃は、母が体調を崩し始め 介護が必要となってきていた。
思い切ってパートをやめ、チャットレディーも辞めた。
何とか、デザインの仕事を成功させたい。
HP作成・企業名・個人経営のノウハウ すべて自分にかかってきた。

カウンセリングに行くたび、薬は増え 薬を飲めば、意識がもうろうとし
睡眠時間が増えていく。それでもしなければいけないことが山ほどある。
フェイスブックで営業もした。フォロワーはどんどん増え最高人数にすぐに達したが、仕事につながるのはごく一部でほとんどが出会い目的。
鳴りやまないメッセンジャーの音に耐え切れなくなって、メッセンジャーを削除した。「出会いは求めていません」と書いていても、容赦なく出会いを求める人々。 中には仕事の依頼をいただき、打ち合わせに行って 事務所で暴行を受けたこともある。悔しかった、女一人だからと舐められている。
繫がりから、ベトナムのお仕事もいただいたが結果的に頂いた報酬は2割程度で、あとは逃げられた。 自己否定感が襲ってくる。
カウンセリングの後、血液検査。その後の診察で医師に言われた。
「薬を変えます。これ以上あなたの体はこの薬に耐えられません。」
意味が分からなかった。
「無意識の自殺願望、生きる気力のない心、その為かなり強い薬を飲んでいたらしいが、肝臓数値が異常になりこれ以上摂取すると突然死になると・・・」
わけのわからない説明のまま薬が変更される。
「それならいっそ、薬を減らしてください」とお願いした。
「最低限必要な薬だけ出してください。希望としては3錠まで。。」
「危険です」と医師は言い切った。「患者に生きる希望を見出すのが精神科医の仕事です。そのためには薬の力も必要です。今のあなたには、生きる意味を見いだせていない。ここで、薬を減らしたら更にコントロールできない自分を自己否定し、最悪の結果になります。そうなってからでは遅いんです」
私は言った。「先生、私はいい加減な人間でしたが子供が生まれ 少なくとも母性が生まれました。こんな病気になるとは思っていませんでしたし、実際、子供達の前で手に落書きもしました。でも今は、父も亡くなり、母も介護が必要となってきました。一人の人間として母として、子供に悲しい思いはさせません。薬を減らしてください。コントロールできないときは、たった1枚の子供達の写真を見ます。生き抜きます。だからお願いします。」
先生は、薬を2つ(2錠・1錠)の分とコントロールできなくなった時の為の
お守りの薬として1つ(1錠)を1か月分処方してくれた。
「あなたを信じます。だから、僕の事も信じてください。何かあった時にはすぐに来てください」そう言ってくれた。
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