それぞれの道

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長男は、就活の結果 大手建築会社に就職した。
大学は建築専門ではない、経済学部。
それでも、自分たちの故郷にと作ったハウスメーカー担当者の熱意が心に響き
「皆に夢を与えられる人になりたい」と、その会社を希望した。
しかし、現実は甘くなかった。同期で入った社員は、建築関係の学校を出ていて、当然 宅建や建築関係の資格を持っていた。
一からの出発。仕事をしながら、資格の勉強。
朝の7時出勤、休憩時間は勉強。残業は、ほぼ毎日 深夜3時まで
残業手当はつかない。お腹がすいても、先輩から「夜中に食べると朝起きれなくなるから、夜食は食べるな」と言われる。
長男はやせ細り、48㎏まで体重が落ちた。
1年頑張ったが、過労と栄養失調で気を失い 医師から3か月の休養を取るように言われた。その間の給料はほぼ無い。家賃・光熱費等 様々考えると一人暮らしには限界だった。高校から親元を離れ、一人で頑張ってきた長男。
父親と暮らす決心をした。

次女は大学受験を控えていた。普通に今のままで、兄と同じエスカレータ式の大学に行ける。しかし、彼女の体にも異変が起きていた。
父親の女性・性に関する嫌悪感。無言の圧力。父親と同じ空間にいるだけで吐き気との戦い。いつしか右手で字が書けなくなっていた。
そのまま大学に進むと、自宅からの通学になる。次女は、父親から離れたいのと自分の夢を叶えるため、アメリカニューヨーク大学を目指した。
右手で書けない分、左手で勉強した。インド出身の女性英語教師に心を開き
沢山の悩みを打ち明けた。彼女もまた、インドという国に生まれ、男尊女卑
により小さい頃は地下で生活を強いられ、外出することは禁止されていた。
それでも勉強することが大好きな彼女は、独学で勉強しどんどん才能を伸ばしていった。たまたま、彼女の家は裕福層に値し 彼女の才能を見出したおじい様が彼女の勉強の場を与え、今後の発展のためにと日本行きを承諾した。
次女が「アメリカに行きたい」そう言ったとき、授業以外でも英語を教えてくれた。体が震え、家に帰れなかった時も彼女は自宅に泊めてくれた。
それを知った父親は、学校に怒鳴り込んだ。
「一教師が生徒を自宅に泊まらせるとは、どういうことですか!!!」
学校側は、次女の体の変化に気付いており 明らかに父親がおかしいと感じていた。学校側は次女の意見を尊重した。
困難な中でも、オール10の成績を取り続けた次女。
ニューヨーク大学には、間違いなく合格圏内だった。願書提出が始まり、準備を整えた。学校からの推薦ももらい、順調に進んでいるように見えた。
父親も世間体を気にし、一旦はニューヨーク行きを承諾した。
しかし、願書提出後「金がないから、行きたいなら自分で行け」と言い出した。子供全員に、この日の為にと学資保険をかけている。
あの人は、ことごとく子供達の夢までも奪っていくのか・・・
次女は食い下がらなかった、「最初のお金は出してください、アメリカでの生活費や学費は自分で働いて何とかします。最初の出してもらったお金も就職したら返金します。」そう言ったが、父親は頑として聞かない。
アメリカには、長女が音楽でお世話になったニールもいる。
ニールもまた、「自宅がニューヨークだから家族と住んでもいいよ」と言ってくれた。学校側も父親と面談してくれた。「彼女の可能性を信じてあげてください。ここで彼女の道を閉ざさないでください。」これだけの条件が揃っているのに、父親は願書に捺印をしなかった。
次女は泣く泣く アメリカ行きを諦めた。「大学にはいかない。。いや、いつかアメリカに行く。でも今は父親に頼らず、自分で行く為の資金を貯めるため就職する」そう決意した。 「でも、同じ働くなら無駄には働きたくない。」
そう言って次女は「写真を扱う」仕事を探した。選択したのは写真撮影を全国展開する大手企業。入社条件の中に「大学、もしくは大学院卒業生であること」この時点で次女は入社試験を受けることができない。でも彼女は諦めはしなかった。自分の未来を拓くため・・
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