依存

記事
学び
夏休みが終わり、私の体に変化が起きていた。
夜眠れないことが多く、朝も子供が家を出る前には朝ご飯の支度はできるが
夫は、フレックスなのになぜか自転車で20分の会社に、朝5時ごろ出ていく
その時間の朝ご飯づくりに間に合わず、夜も眠れないことこともあって
夜のうちに、お味噌汁とおにぎり、魚等を焼いてテーブルに置き
「起きれなくてごめんね。温めて食べてね。」そう手紙を添えて置いていたが
夫は一度も手を付けたことがない。
私は、娘がネットの世界に入っていくことにも理解をしたくて
パソコンを使い始めた。と言っても、何かできるわけではなく
メールを開いたり、ブログを見たりだった。
ある日、ふと目に入ったブログ。私と同じようなことで悩んでいるブログ。
誰にも相談できない私は、いつしかそっとベッドを抜け出しパソコンを開きブログを探しては共感できるブログを読むのが日課になっていった。
寒くなるころには、外出するのが怖かった。
学校に行けば、主人をほめるPTAの役員たち。
買い物に行っても、出会えば主人の話になる。
段々と、外に出て人と接するのが怖くなってきた。
お正月が過ぎ、娘の進路は決まらないままもやもやした気持ちを抱えていた。
子供達を送り出した後は、トイレ掃除から始まり、家じゅうの掃除をしていたがリビング横の和室は主人のもので溢れ返っていた。
片づけたくても、下手に手を出すと「あれどこにやった。余計なことするな」と言われるから その部屋は、掃除をしなかった。
1月ごろ、私は急に起きれなくなった。子供達にも「ごめんね。」としか言えない。夫からは、「無駄に夜遅くまで起きてるからだ」と罵倒される。
「朝飯も作れない奴は、嫁失格だな」私はかっとなった。
「ちゃんと用意してるじゃん!!起きれないから作り置きだけど、ごめんねって手紙書いてるじゃん!!」
「冷えた飯なんて食えねーんだよ!!」悔しかった、苦しかった、今まで出来たことが出来ない・・・なぜ?
しかも、その時は気が付けば「死ぬことばかり考えていた。。」
ある日夫が、「お前やっぱり頭おかしいな。医者いってこい。」
そう言ってお金を渡された。夫が指示した病院は精神科。。。
なぜ?でも従うしかない。初めての精神科。
かつて私はボランティアで鬱や精神患者さんの家族を支える活動をしていた、
お母さんが鬱で家のことが出来ない子供たちを呼んでご飯を食べさせたり、
母親がヘルプを出して来たら根気よく話を聞き、背中をさすった。
先生は、真剣に今までの話を聞いてくれた。そして私の気持ちも・・
血液検査も終え、出た病名は「鬱」だった。
「え?なぜ?この私が鬱になるわけない。だってプライドと怖いものなしで生きてきた私。なんでもポジティブに考えて生きてきた私がなるわけがない」
その事実を受け入れるのに時間がかかった。
体に合う薬を決めるまで、お試しの薬が処方された。
膨大な数。そして、高額な医療費と薬代。。。
帰ってきた夫に話した。
「お前に逃げの命があるから、そんな病気になるんだ。しかもなんだこの医療費は、こんな金出せるか!!自力で治せ!!」
1週間後の診察でその事を先生に伝えた。先生はすぐに自立支援の申請をしてくれ1割負担になったことで、夫はやっと納得してくれた。
薬の副作用と母として娘を守る戦いが始まった。。

続きはまた明日・・・
IMG_7144.JPG



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す