一粒のグミも口にしない「そういう人」であれ。

記事
コラム
ダイエットしているわけではないけど、
無駄なものを口に入れない
そのことは自分の拘りやルールのようなものになっている気がします。


といっても、
ビーガンとかでもないし、
自然食品のお店にも滅多に行かないし、
菜食主義傾向ではあるけど何て言うんでしょ、
庶民的な質素な食事を好んでいて、
マックとかはモチロン好きで食べるけど、
ジャンキーすぎるものや高価すぎるものに別に興味がなくて、

自分の体質に合った、自分で好んだものは口にしてよし
みたいなそんな勝手な拘りです。


摂食障害から引きずっている拘りにも似ていますが、

摂食障害当時は、
拘りやルールが破られると、
完璧ではない自分を破壊するために、
吐いたり下剤を使って、
失敗を侵すキッカケとなった汚染物質を体内から追い出して、
意識としてはリセットして浄化させ、
再び生き返る必要があるのですが、

今はもうそんな汚染されるような感覚はなくて、
シンプルに
ここでカロリー取りたくないな
このあと歯磨きできないから嫌だな
のように感じています。


摂食障害を越えた今の私にも理想があって、
現在の体型を維持すること
今より健康であること
そんなことを描いています。


描いたのなら、
描きっぱなしにしたくないので
いつも実行を心掛けています。


その実行として
自分なりの無駄なものを口に入れないようにしているのですが、
意外にも実行しにくいのです。


女性は
「甘いものでもどうぞ」と仕事中にスイーツを配ることが多いです。

また、管理栄養士という仕事柄、
食事の味見をした方がいいのかなと思ったり(味付けは委託先の栄養士さんに任せられるのですが)
無駄なものを口に入れないというルールを守るのは難しいなと日々感じていました。


私は今年の1月に転職をして、新人なのですが、
職場でスイーツをもらっても私は口にせず持って帰るので、

「栄養士さんは徹底してるからその体型なんだ」
「栄養士さんみたいに間食しないようにしないと」

と他職種の職員さんに感心されるようになり
そんなふうに捉えてくれるのかと
最近では食べないことに引け目を感じなくなってきました。


先日、男性の調理師さんに
「食べてけよ!ダイエットでもしてんのか?」と言われ
「そんなことないよ」と答えましたが、

今度同じこと言われたら
「そうそう食事制限してるの」と答えようかなと思えてきました。


「食事制限をしている」って

自意識過剰な感じだったり、
神経質すぎる感じで印象としては良くないし
頑張ってることを披露することに人間引け目があるのか、
恥ずかしくて言いにくいものでしたが、


「そういう人」

にしてしまえばいいのかな
なんて周囲の反応の変化から思えてきました。


「そういう人」として
周囲からの認識と自分を一致させていけばラクに生きられます。


無理なく自分なりの食事管理ができれば、そんな環境であれば、
現在の体型を維持すること
今より健康であること
そんな自分の理想にもきっと無理なく近付けます。


ここのところ、強く思います。
他の人にはなかなか出来ない拘りを
アホらしいほどに貫いていけば
それは他人から見たら面倒くさそうな人に写ったとしても
それが個性になって、
最終的には誇らしく思えることにもなるんだなと。


だとしたら、
やっぱり無理に周囲に合わせることはない。


「痩せていたい綺麗でいたい健康でいたい」
自分なりの美の基準を
周囲にかき乱されたくなんかないですよね。


一粒のグミに乱されることもあるのだったら、
一粒のグミを口にしない勇気も恥ずかしがらずに持っていいと思うのです。


相手の反応を気にする必要もありません。
「そういう人」
であることで人間関係がおかしくなるなら、
そんな人間関係もそんな低レベルな人も、捨て去る良い機会です。

歳を重ねると、その人の雰囲気がその人を物語るように感じます。
精力のない人は残念な人生なんだなと思ってしまうし、
活力溢れる人は人生真っ只中を生きていることが分かります。
歳をとっても稚拙な人に、
必要以上に関わる必要もなければ、惑わされる必要もないのです。


「そういう人」

として周囲が受け入れるには時間がかかるし、
そういう人となる努力が必要だし、
それを貫く勇気が必死だし、
理解されないからとても孤独だけど、


このブログを読んで頷いてくれる人も、私も、
「そういう人」なんだから、
そのままそれでいいんだと思います。

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