怒りの感情ほど醜いものはないと思っていた。

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こんにちはSHOです。僕のブログを読んで頂きありがとうございます。

僕が考えていることをそのまま書いていくのですが、これを読んで「何なのコイツは」と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。それを承知で正直に伝えていくことにします。

○この世から無くなってしまえ

感情についてはこのような投稿をしたことがあります。


●喜び
●悲しみ
●恐れ
●怒り

この4つです。仮に、この4つの感情が「本物の感情」と呼ぶのなら、他の感情は「偽物の感情」ということになります。ただし、偽物といっても【ウソ】という意味合いで使っているものではありません。本物の感情の裏返しであり、形を変えたものだということです。

僕はこの4つのうち【喜び・悲しみ・恐れ】については比較的素直に感じることができると思っています。

ただし【怒り】の感情だけは素直に感じることが苦手です。なぜ、このようになってしまったのか考えると、子どもの頃からそうだったということに気が付きました。まずはそこからシェアしていきます。


僕の家族は父・母に加えて祖父・祖母がいて弟がいてと6人家族でした。祖父・祖母は父方です。テレビは1台あって、夕方になると相撲、夜になると野球中継を見るのが定番でした。昔は毎日テレビで野球中継がやっていた時代なのです。なのでうちの家族は基本的に巨人ファンです。僕は特別に応援しているチームはありません。

身体を悪くしてからは気を使うようになって、お酒の量も少なくなりましたが、昔はタバコも吸っていたしお酒もよく飲む父親でした。

祖父は自分が応援しているチーム(うちの場合だったら巨人)が負けていると「つまらん」「全然ダメだ」と言いとっとと寝てしまいます。

応援しているチームだから最後までしっかり応援すればいいのに、負けていると全く見ないし機嫌も悪くなる。勝っていれば機嫌が良くなるという典型的な「昔の人」といった感じでしょうか。

父も親の影響を十二分に引き継いでいたので、同じような感じでテレビ中継を見ていました。僕はそれがとても嫌いでした。

「なんでそんなにすぐイライラするんだろう、文句言うんだろう、怒るんだろう、なんで応援しているチームなのに信じてあげられないんだろう」

そう思っていました。だけど、子どもの僕はそんなことを父に言うことはできませんでした。お酒も飲みながらだったし、何を言っても無駄だ、言えば機嫌が悪くなるしまた始まったよ〜みたいに思っていました。

正月は叔父の家族が来ていたのですが、大抵お酒を飲んで酔っ払いながら意味不明なことを言い出すのが定番。言ってることが理解できるならまだしも、意味がよく分からない。赤の他人なら気にする必要はないんだけど、自分の父親だからね。正直言って、見たくなかった。

お酒を飲んだら性格や態度、発言が変わって気が大きくなってしまう人が苦手なのは、おそらくここから来ています。正直大人数の飲み方は苦手だし、無意味に絡んでくる人とかいると、酔いは冷めるし早く帰りたいと思ってしまう。付き合いが悪いんだけど、お酒の場が苦手なのだ。

そして、怒りの感情をすぐに出す人は正直「頭が悪い」「醜い」と思っていました。なんでこの人はすぐに感情的になるんだろう、大きな声を出すんだろう、こんな汚い言葉遣いをするんだろう、なんでもっと建設的なコミュニケーションをすることができないんだろうかって。

言葉にしなかったとしても、心では見下していました。僕は怒りの感情を表に出す人が苦手なのです。



でも、これは自分の体験が大きく影響をしています。自分の近くにいた人、まだ僕が幼稚園とか小学校とかに通っていた時くらいの記憶なのかな?そこ頃に自分が感じたことを無意識に引き継いでしまっている。その頃に自分が過ごした環境が違ったらこうはならなかったはず。もちろんこれは「たられば」の話なのですが。

僕はずっと【怒り】の感情を「醜いもの」だと思っていたし、怒りの感情があるから世の中に争いが生じるし、ストレスが生まれるし、無駄な小競り合いが生じるんだ、この世から怒りの感情というものは消えてしまえばいいのにと思っていたのです。

だから、僕は怒りの感情を表に出すことがとても苦手です。怒れないんです。なんで?醜いものだと思っていたからです。


○自分の中にも【怒りの感情】はあったんだ

なんで急にこんなことを言い出したんだ?という話をします。

ダイエットの事業を開始したとき、僕が勧めていたものは「糖質制限ダイエット」でした。

理由は単純で、僕が実際に経験していたし、成功体験があったし、もっと人に勧めたい気持ちがあったからです。このダイエットをすればダイエットに悩む人、苦しむ人が少なくなるし救うことができるんだと思っていました。

それから「ファスティング」というものを知り、糖質制限ダイエットからファスティングを勧めるようになりましたが、基本的には【食】の重要性を第一に考えていました。

-you are what you eat-

「身体は食べたものによって作られる」とも言われているし、食の知識、栄養の知識などを身につけることによってダイエットの成功率も上がるものだと思っていたのです。これは今でも間違っているとは思っていません。

だけど…。

そうなんだけど…なのです。

ある時のアポであった人に、自分の心をズタボロに抉られたことがありました。正直「この先やっていけるのか」と思うくらい落ち込みましたので、身体のこと、健康のこと、そんなことどーだっていいや!っていう気持ちになりました。

何のために食のことを学んでいるんだろうか、何のために健康でいたいと思うのかすら意味を見出せなくなったことがありました。究極言えば、何のために生きているんだとまで考えていた気がします。

いわゆる「鬱」ってやつですこれは。

診断を受けたわけじゃないけど、きっとそうだった。当時の僕は【鬱=ダメ、落ちこぼれ】のように思っていました。なので自分がそうだと認めることができなかったし、認めたくなかった。でも、客観的に見ればそうだったんです。


すごく苦しかったです。本当に。


でも、このままで終わりたくないって気持ちもあったし、自分で決めたことなんだからしっかりしないといけない、前を見ないといけないんだって必死に前を向きました。かなり強引にです。

その時期に僕は気づいたことがありました。

それは何かというと、ダイエットのみならず生きていく上で、最も大事なことは「食」ではないんだということです。

このような言い方をすると誤解が生まれてしまいそうなので補足すると、健康でいるために「食」は大事です。上でも書いたようにこれは間違っていると思っていません。なので食「も」大事なんです。

最も大事にしないといけないことは【心】なんだと気づいたんです。メンタル、マインド、考え方、価値観etc…色んな呼び方はあるし、実際に人間の体に「心」がどこにあるんだという答えのない論点もありますが、とにかく【心】を整えることが最も大事なのです。

それから僕は人間の「心」に影響を与えることについて勉強することを始めました。僕は恥ずかしいことに、全く知らなかったのです。無知だったのです。ダイエットが成功できたのも「食」や「栄養」に関する知識だけでうまくいったので、それ以上のことを知らなかったのです。浅はかだったの本当に恥じたく、隠れることができるのであれば隠れてしまいたくなります。

恥ずかしさより、悔しい気持ちが勝り、もっともっと知識を付けないといけない、学ばないといけないと思い必死で勉強しました。

ストレス、自律神経、ホルモン、神経伝達物質etc…それ以外にもマインドや自己啓発系の本もたくさん読みました。

その中で冒頭の「4つの基本的感情」のことについて触れている本に出会いました。正直僕は「え…嘘でしょ?」と思いたくなりました。今まで僕は「無くなってしまえばいい」「醜いもの」と思っていた感情は、人間における基本的感情だったんだと知るのです。

認めたくなかった。

今まで自分は怒りの感情こそ排除すればもっと生きやすくなる世の中になるんだと思っていたから。



だけど…そのことを知ってから自分を俯瞰して見たときに、僕の中にも「怒り」の感情が芽生えることがあることに気がつきました。

僕はこの感情と向き合いたくなかったし、今までもいたのかもしれないけど、気づかないふりをしていた、他の感情で処理をしてしまっていたのです。それは、自分に負荷をかけていた、無理をしていたということになります。

そりゃ…自分の心は疲れてしまっていたんだと思った。

○怒りのコントロール

自分の中に「怒りの感情」もあることは分かった。じゃあそれをどうやって処理しろというんだ?これが非常に問題になりました。

「は?何でそんなことを考えるの?」
「思った通りに、素直に表に出せばいいじゃん?」

このように思う方もいるはずです。何で僕のようなことを考えるのか理解ができない人、たくさんいるでしょう。

でも、ここまでしっかりと読んで頂いた方ならきっと分かってくれるはずです。

僕は怒りの感情は「醜い」と思っていたのです。

怒りの感情を表に出すことは醜いし僕は心のどこかで見下していたので、自分がそれを表現するようになることは「堕ちたことになる」と考えてしまっていました。

すごく抵抗があったのです。感情的であり、言葉も酷くなり、汚い言葉遣いになり、相手を威圧するような態度を示す、なんて醜いものなんだと思っていたのですから、そんなことできるはずないだろと。

ただし、自分の中に「怒りの感情」があることには気づいています。どうにかしないと、なんとか処理をしていかないと自分が苦しくなってしまうのは分かっています。だから壊れた。

どうすればいい?

僕が出した答えは「怒りの感情を自分でコントロール出来ればいいんだ」ということです。

僕が「醜い」と思っていたのは、感情的になり自分の心をコントロールできずに目の前にいる人に対して敬意もなく思いやりもなく、ただただ自分の好き勝手言ってしまっている人、行動してしまっている人だ。

なんて自分勝手なんだろうか、何でこんなことをやってしまうんだろうか、どうしたらこんな態度を取ることができるんだろうか、理解できない、頭悪いんじゃないか、おかしい。絶対にこんなことしたくない、このようにはなりたくない…

自分でも酷いことを言っているのは百も承知しています。それほど怒りで感情的になる人になりたくなかった自分がいるのです。

だから僕は「怒りの感情」を表現してもそうならなければいいんだと考えました。いわゆる「アンガーマネジメント」というものです。

僕の考えはだいぶ歪んでいたと思います。でも、僕のように偏った考え・価値観を持っている人は他にもいるんじゃないかな?って思います。

人はそれぞれ【価値観】が違います。その価値観の違いは受け止める方が良いと考えています。なぜか?自分の価値観こそ正義であり「こうあるべきだ」という思いが強ければ強いほど、人を非難したくなる、攻撃したくなる、認めたくなくなるからです。嫌いというより憎しみに近い感情すら芽生える可能性があります。

これは4つの基本的感情の中でどれが近いかというと「怒り」だと僕は思います。このまま素直に出せば、コミュニケーションはうまくいかないでしょう、感情的だし建設的な話し合いなどできるはずがありません。自分の正義感を認めるために、自尊心を保つためにも他人を認めるわけにはいかない、攻撃的になるのですから。

これは他人にぶつけるだけでなく、自分自身にもぶつけることになります。この感情がコントロールできないと何より自分が苦しくなります。これは僕の実体験があるので間違いないです。怒りの感情を認めることができなかったり、コントロールできないと必ず苦しくなります。



僕は「ダイエット」という分野で業務を行なっているので、範囲を狭くして伝えていくことになるのですが、ダイエットにおいても【怒りのコントロール(アンガーマネジメント)】は必要だと考えます。

自分の近くにいる人を守るために。何より自分を守るために。繰り返しになりますが、最も大事なのは【心】です。これから僕は【心】を大事にするための発信をしていきたいと思います。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
僕もまだまだ志なかばです。僕のことを応援してくれる人がいたら本当に嬉しいです。一緒に成長していきたい。

○あとがき

前段で父親のことを悪く言ってしまっているんだけど、僕は父親は唯一無二の存在だしとても尊敬しています。正直「??」なところもたくさんあるのですが、子どもの頃、父親の職場に行ったことがあります。その姿は「カッコイイ」の一言に尽きました。父がいて今の自分があるのも事実。感謝しかありません。

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