不登校、イジメ 過疎地から国際学校へ ⑴

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初めまして


作編曲家・ギタリストの本田優一郎です。

17歳と15歳の男子の父親で、フルーティストの妻との4人家族。
夫婦でホラネロという音楽ユニットで活動しています。

長男は不登校、次男はイジメをそれぞれ乗り越えて、二人とも国際学校の狭き門を通り抜けました。

僕達は2012年、子育てにとって良い環境を求めて東京から妻の実家のある北海道、遠軽町に移住しました。

2年前からは同じオホーツク地方にある人口約4500人の自然が豊かな町、津別町に暮らしています。

17歳の長男は長野県にある全寮制の国際学校、UWC ISAK Japanに合格し現在Grade11(高校2年生)に在籍しています。

15歳の次男も同じISAKに合格し、今秋から通う予定です。

ちなみに僕たち親は英語が得意ではありません。

だから自分の子供がインターナショナルスクールに行くとは思っていなかったですし、中学卒業と同時に子供達が家を出るとは想像もしていませんでした。

豊かな自然が身近にあって、祖父母の優しさに触れながら、安心・安全な環境で育てば、きっと人格形成に良い影響を与えるだろう、というフワッとしたイメージで移住した僕たち。

ちなみに、東京在住の頃は自然を求めて近隣の県まではるばる電車を乗り継ぎ、まだ小さかった子供達が思う存分体を動かし、自然と触れ合えるよう努めていました。


兄弟でインターナショナルスクールに合格


ましてや過疎地から受験したと言うと『どんな風に子育てされているんですか?』と、聞かれることが少なくありません。

しかし、明確な答えがあるとか、何か強烈なビジョンを持って子育てをしていたわけではないのが実情です。

他の親御さんと同じように大切に子供たちを育ててきた自負はありますが、当然上手くいかない事も多々ありました。
問題に直面した時には、周りの方に助けて貰いながら一つずつクリアしていくしか無く、常に行き当たりばったりでした。

強いて何か目標があったかと言えば、僕自身が片親で育ち家庭環境があまり良くなかったので、仲が良く、温かい家庭を持つ事が自分の強い憧れだったのかもしれません。


子供を育てていく上で順風満帆なことは無い


人生において直面する問題は人それぞれ違うと思いますが、このnoteでは僕達がどのように問題解決し落とし所を見つけたか、また時には周りの方々に助けられた様々な経験を綴ります。


家族で考え、悩み、喜びを分かち合ってきたリアルな体験が同じ悩みを持つ人の役に立てたら嬉しいです。

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