<あらすじ>
かつては町内屈指の御殿と周知されるも、今では不美観地区の元凶と囁かれるほどに荒れ放題。
そんな廃墟寸前のお屋敷で独り暮らしの中尾裕子は、完全に人生諦めモード。
いつしか居ついていた2匹の野良猫と、ただ生きているだけの年月を数えていた。
良家のお嬢さまとしてキラキラ輝いていた少女時代は遙か遠く、それでもこの町以外に居場所がない現実。
変わり果てたその容姿ゆえ、彼女だと気づかぬ地元の知人たちの視線を避けるように、黙々と出張清掃作業に勤しむ日々。
「これで食べて生きているんだ!何が悪い!?」
声高に叫ぶ気力すら失う寸前の裕子がある日、思わぬ形で数十年振りの再会を果たすことになったのが・・・・・・
(※3/25/2025 Update)
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1・アタシライフ
「ヤバいな……最後の千円札になっちゃった。この調子だとまた携帯止められて、下手すりゃお約束のローソク生活かな」
裕子にとって大切なダブルパートナーの2匹の猫たちは、そんな独り言が理解できるのか、心配そうな素振り。
「大丈夫だって。これまでアンタたちにひもじい思いはさせなかったでしょ?そりゃ万年粗食は申し訳ないけどさ」
仕事疲れプラス空腹で空気の抜けたような口調から、もしや神様からの贈り物でも届いてはいないかと、望みを託して開いた冷蔵庫。
されど現実は庫内よろしく冷ややかで、やはりのスッカラカン手前状態。
かつては近隣随一の豪華屋敷で知られていたこの家も、流石に経年劣化が隠し切れず。
今では不美観地区の元凶などと囁かれる、残念な佇まいへと変貌していた。
広い1階には父親が経営していた工務店の事務所と、母親が一角を改築して営んでいた喫茶コーナの形跡。
いずれもが双方の主を亡くして以来荒れ放題で、いうなれば部分廃墟状態。
毎年雛祭りが過ぎる頃になると、鮮やかな彩を枝一面で誇る早咲きの桜の木だけは、かろうじて当時の姿のまま。
しかしながらその姿に目を奪われる心の余裕さえも、完全に見失っていた。
この秋には齢五十を数える自分の人生は、波乱万丈なのか、あるいは自業自得なのだろうか・・・・・・裕子はそんな自問自答にも飽きてしまっていた。
十数年間の結婚生活に、最後は自ら放棄という終止符を一方的に突きつける形で、生まれ育った実家に身を寄せて数年。
我慢の限界を超えた元旦那とは後腐れなく疎遠になれたかと思えば、妻を亡くした精神的ダメージからか、父親が要介護状態に。
随分前から翳りが見え始めていた工務店を廃業したことで生き甲斐を失い、心身の衰弱が顕著となっていた裕子の父。
当然家には財産も収入もなく、介護施設に預ける金銭的余裕など夢のまた夢。
遠い日の中尾御殿で暮らす父娘の現状を興味の対象とする人は、この時点ですでに見当たらなくなって久しかった。
その後父親の最期を見届け、一文無し同然の状態から独り生きていくべく裕子がようやく探し出せたのは、契約制の清掃員の仕事だった。
会社が指定する依頼先の家屋や店舗や公共施設などへ日々直行直帰の、早朝深夜勤務も茶飯事の肉体労働。
「あの中尾家のお嬢さんが!?」
興味半分未満の囁きが裕子の耳に直接届かなかった一番の理由、それは彼女自身の身なりと風貌に他ならなかった。
普段着も清掃作業服も兼用で、汚れが酷い運動靴は踵から雨水侵入状態なのが一目瞭然。
化粧など完全無縁で美容院代を節約すべく髪の毛は自らハサミでカットから、手拭いで覆い隠すのが基本スタイル。
洗車どころか車検すらスルーかと疑いたくなるような、軽トラックの車内で乾いた唇に咥え煙草が、貴重なリラックスタイム。
身長150センチに届かぬ小柄な四肢を駆使して操るクラッチが滑り過ぎる愛車は、3速発信も朝飯前。
ごく稀に偶然遭遇する地元の同級生も、よもや彼女が中尾裕子とは気づかないらしく、足早に去ってゆくのが定番だった。
「これでも精一杯生きているつもりだけど、このまま独りで死んでいくのも迷惑なんだろうな・・・・・・」
かつては際立って明るく饒舌だったのが嘘のように、2匹の猫たち以外とは基本言葉を交わそうともしない、ただ生きているだけの毎日。
「肉の塊が腐っていくような晩年も、アタシらしいのかもね」
運命と受け入れているのか諦めなのか、そこに疑問を見出す気力すらも失っていた。
2・ハチアワセ
間一髪だった。
「ご、ゴメンナサイ!」
亡き父親の錆びた荷物運搬用の自転車では、当然爪先すら届くはずもなく、横向きに傾き倒れ込む裕子。
それをコンマ数秒の身のこなしで真正面から回り込んだ男性が、車体ごとガッチリと受け止めた。
小さな身体が両腕の中にすっぽりと収まり、暫しの静止画像状態に。
「大丈夫ですか?ケガはありませんか?」
見知らぬ男性の胸に身体を預けたまま耳にした、どうやら自分に向けられたらしい優しい問いかけに、思わず表情が崩れてしまった。
続いて自身の中にまだ女性が残っていたのかと照れ臭さに包まれてしまい、俯いた顔をその人に向けることができずにいた。
「こっちこそ自転車の気配を注意すべきでした。ホント申し訳なかったです」
昼下がりの人通りまばらな住宅街、変則的なお姫さま寄っかかり未満を続けてもいられないと、ここで意を決し顔を上げた裕子。
「あ?」
「ユッコ!?」
最後に互いの姿を確かめ遠い記憶の日から、ジャスト30年振りの再会の『三十』という数字を、それぞれが瞬時に思い浮かべていた。
「河野君?」
「おおっ!?覚えていてくれたとは。それより相変わらず元気だな」
あの頃のままの口調が鼓膜経由で、裕子の記憶の扉を開き始めていた。
「だけどこの自転車はユッコにはどうかな?ひとり股裂きの刑になるぞ。オマエそんなプレイが好きだったのか?わはははは」
奇しくもこの道は、中学時代の2人にとっての懐かしい通学路。
もっとも実際に肩を並べて歩いた記憶は、それぞれの朧気な記憶のどこを掘り返しても見当たらず、その理由は単純明快。
昭和50年代初頭の、男は男・女は女同士なる、絶対的暗黙の了解。
学校内では夫婦漫才顔負けのやりとりが当たり前だったとしても、校外でのツーショットを見つかっては一大事……そんな時代だった。
「ところでお姫さま、そろそろご自身の足で立っていただけると、河野は嬉しゅうございますぞ」
「え?あ、あっ、ゴメンっ!」
大慌てで飛び跳ねるように身体を離した勢いで反対側によろけてしまい、ふたたび腕を掴まれ支えられれば、哀れ自転車だけが地面と激しいスキンシップ。
「ホントにオマエ、全然変わらないよな」
互いに懐かしい制服を身に纏っている錯覚に陥るような、あの頃のままの河野の口調と「オマエ」の響き。
「アタシなんかがオマエ?いいのかな?・・・・・・ヤダ、何考えてるんだろう、アタシ」
長い年月閉ざし続けていた裕子の心の琴線が、戸惑いつつも震え方を思い出していた。
3・ナミダ
夢見心地とはまた違う高揚感が消え去ってくれぬまま、裕子は猫たちの呼びかけも上の空状態。
飽きるはずもなく、この日の河野とのやりとりを幾度も思い返していた。
「やっぱダメだよ。結局嫌われちゃうどころか、それ以前のお話だよ。人間として認めてもらえないよ。やっぱり連絡するのはよそう。アタシはこんな毎日がお似合いなんだから」