♪国語恐怖症だった児童時代 #1

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コラム

♪文章を綴ることで、分相応の報酬を頂戴できている現実に、決して大袈裟ではなく、
「嘘だろ? 壮大な年月を費やしたドッキリだろ?」
突然そんな戸惑いが、今も頭を過ぎる場面が。

その理由は単純明快。
2つの自身にとって非常に大きな経験が、深く関係していると確信しています。
1編に詰め込むと長くなってしまうので、次編と2回に分けて綴らせてやってください。


【その1・左利き強制矯正で居残り(小1)】

昭和42(1967)年に地元の公立小学校に入学 ・・・ そんな年齢です。
個性や自由を尊重かつ伸ばす教育が定着して久しい今日ですが、当時は違いました。
いわゆる均一化教育を良しとする価値観の中、生まれつき左利きの私。
「左ぎっ◆ょは行儀が悪い」
「左◆っちょは◆◆だ」
世界の1本足打法など、特別な存在を除き、小市民はこのように囁かれていました。

これに輪をかけて、学校教育では左利きを右利きに矯正するのも当たり前。
体育の授業で使う教育備品も、たとえば左利き用の野球のグラブなど皆無。
体力測定時のボールの遠投測定も、右手で投げさせられました。

そんな世の中の風潮に対し、我が両親は無頓着だったらしく。
カメラが趣味だった父が撮影した当時のモノクロ写真には、左手で箸や鉛筆を持つ私の姿が。

これを「見過ごせない・許せない」と立ち上がったのが、小学1年当時の硬筆書道の先生。
白髪頭で体格の良い男性教師は、今は◆語となった 『無口カミナリ親爺』 タイプ。
当然今の私よりもずっと若かった計算になりますが、とにかく怖かった。

放課後頁生はひとり教室に居残りで、右手で字を書く練習をさせられる日々。
同級生のランドセルが次々と遠ざかる中、目の前に仁王立ちならぬ仁王座りの先生。
心細くて涙流しながら、指示されるまま、直線や曲線を書き続けました。
「左手で書いた文字には点数はやれん! 丸もつけなければ指導もしない!」
さらには左利きがどれだけ恥ずかしく卑しいかなど、懇々と説き伏せられました。
2020年現在だったら大問題以上の指導でしょうが、半世紀以上前の日本はこんなでした。


♪ところが "ぎっちょんちょんっ" ← ※ おっと!?
ここで不思議な展開が。

未就学時期に無意識に身に着けてしまう、いわゆる書き癖が無い状態での右手書き。
鉛筆の持ち方から着席時の姿勢まで、今日であれば体罰に該当するマンツーマン指導。
急速にメチャメチャ達筆な児童へと変身してしまいました。

こうなると昭和40年代前半の義務教育、この先生のお力が、大人の事情で妙な方向へと作用し始めたらしく。

* 硬筆(書きかた)作品が、学校代表として、市のコンテストにエントリー
* なぜか入選どころか特選
* 大阪市立美術館に別枠で展示され、朝礼時に全校生徒の前で表彰

こうして 『恥ずべき左利きを短期間で克服した、学年一達筆な頁生君』 のできあがり 。
連日の居残りを課した先生はご満悦だったみたいですが、我が心は晴れません。
「僕の人格全否定の結果を周囲が褒め称えているなんて、なんだか変だぞ?」
わずか6~7歳当時、大人の力関係や世の中の尺度など、理解できるはずもありません。
それでもこの一件を通じ、

文字を書くのは嫌だ。
楽しくない。

幼心に擦り込まれてしまったのは、紛れもない事実でした。

ここまで重たい内容になってしまいましたが、続きは次編で。
さらに私を 『文筆嫌い』 にさせてしまった、決定的な展開が …

- TO BE CONTINUED -


或 頁生 (ある ぺじお)


#5.

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