♪急ぎ今秋までの中長期的な予定を組み変えたのは、GW明け早々のこと。
☆ よくぞ筆者に打診いただけたことだと 感謝やり甲斐雨あられ
標語でも五七五その他でもない一節にですが、こんな案件が舞い込みました。
★ 2017年4月撮影 1989年春に最初に住んだ部屋 空室で残っていました
詳細は控えますが、サラリと申せば次のようなご依頼でした。
*横浜を舞台に、歴史・文化・生活習慣などを盛り込んだ短編小説。
一気にスケジュールがタイトとなるも、これにはニヤリ以上。
♪十数年前までの筆者は、これが人生の目標のひとつでした。
「天命を知る年齢(=50歳)を迎えたら、横浜に帰る!」
大阪で生まれ育った筆者は、懐かしいバブル期に横浜で暮らしていました。
1980年代末 ~ バブル崩壊とされた1990年代半ばまでの数年間。
想い出をいつまでも宝箱にしまい続ける趣味はありません。
それでも当時は精一杯 & その後の価値観や生き方に大きく影響した、横浜での生活でした。
★ 1992年2月に長男が生まれたクリニックは跡形もなく 風景はそのまま
我が遺伝子継承者を含む、当時生まれた人たちも、現在は単純計算で30代。
実社会のど真ん中を担う人材として、あるいは主婦として母としてなど、それぞれの立ち位置の最前線を生きていらっしゃるはず。
*そんな世代の読者に、ぜひご一読いただきたい作品を書いてみたい。
二つ返事でお引き受けを希望する前に飛びついていました。
♪締切設定が今月末ですが、余裕を持った入稿が筆者流。
24 (FRI) までには納品完了すべく、現在ラストスパート中だったりします。
「やりたい仕事しかしない!」
これに関してだけを切り取れば、有言実行できているかと。
★ 雨上がりの山下公園 大好きだった そして今もそのままのスポット
★ 在住時には観光スポットではなかった 赤レンガ倉庫
★ これまた在住当時は 観覧車を除き 大半が影も形もなかったような?
★ 横浜中華街 また訪れてみたいですね
★ きわめて個人的な横浜の風景って 実はこれに尽きたりします
最後まで緊張感を持って挑ませていただきましょう。
そのためには数百キロ離れた横浜に想いを馳せつつ、まずは ……
★ 買い食い腹ごしらえ 定番ど真ん中も 結構久々かも?
当時関東では意外と外食に苦労した、ソース焼きそば。
遡ること三十数年前、東西の食文化の違いはまだ、クッキリと鮮やかでした。
もちろんオニギリ3つは多過ぎたので、1つは晩御飯に回しましたヨ。
( -人- ) 食い過ぎて 目の皮弛む お約束(五七五)
或 頁生(ある ぺじお)
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