私が人生でもっとも絶望した日

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こんばんは、玲那です。各地で緊急事態宣言が出ていますね。気持ち的に不安や絶望感を抱いている方も多いかと思います。

私もメイン顧客は飲食店業界の方々なので、正直言って影響は大きいです。でも悲観せずにいられるのは、貯蓄があるとか低迷期に備えていたとかではなく、過去にもっともっと絶望した出来事があったからだと思います。


■ある日突然目が見えなくなった

20代前半のころ、半年ほど失明状態に陥ったことがありました。後にその症状は「虐待経験からくる解離性障害の症状」であることが分かりましたが、当時それを診断してくれる医師はいませんでした。

真っ先に行ったのは緊急外来。偶然にも眼科医が当直にいて、丁寧に診てくれましたが「瞳孔が開いているので見えないのは確かだと思うけど原因がまったく分からない。ストレス性のものではないか」と言われました。

そこで精神科・心療内科へ行くことに。かなりの件数を回りましたが、結構ひどいことを言われました。

・本当に見えないの?ウソでしょ?
・詐病でしょ、そこまでして何がほしいの?
・仮病を使ってでも病院に来るというところが問題

などなど。唯一受け入れてくれた精神科では、安定剤やら胃薬やら睡眠薬やら20錠近い薬を処方される始末。見えないので何が何の薬だかちっともわかりません。おかげで超・病院嫌い&医者不審になりました。

※病院へは、当時一緒に働いていた同僚が送迎してくれていました。本当にありがとう。


■突然視力を失う怖さ

目の状態は「光は分かるけどそれ以外は見えない」という感じでした。明るいか・暗いかは分かるけど、物や光景は見えません。そのため、昨日まで暮らしていた我が家でさえも恐怖の場所になりました。

慣れ親しんだ部屋で、頭の中に物の配置は思い起こせるのに、一歩を踏み出すことができない。自分がどっちを向いているのかも分からない。壁伝いに歩いても、あちこちに身体をぶつける。

医師の診断が下りないので生活保護申請もできない。見えない中で働かなければならない。でも何もできない。当時ホステスでしたが、見えない私を雇ってくれるお店はないし、あっても働く自信がない。お客様の顔も分からない。

一歩外に出れば、もっと恐怖は増します。何の訓練もしていないので、音の方向が分からない。車も、どこからどこに向かって走っているのか分からない。点字ブロックも今まで気にして歩いたことがないので全然分からない。

ご飯を食べるときも、お箸は当然使えない。スプーンを使っても、どれだけ動かせばどこに当たるのかも分からない。容器に何がどれだけ入っているのかも分からない。

いかに視力に頼って生きていたかを痛感せざるを得ない日々でした。


■集団レ〇プに遭う

※禁止ワードなので伏せ字にしました。

そんな最中でも働かないといけなかった私を受け入れてくれたのは、当時はやり始めたデ〇ヘルでした。でもそのまま働くわけにはいかないので、お客様に「目が見えない子だけど大丈夫か」と確認を取って行くことになりました。

それが裏目に出た。

ある日仕事が入った先は、自宅でした。玄関まで送迎のお兄さんが付き添ってくれて中に入ると、不穏な空気。他にも人がいる・・・。見えないながらも何となく気配で分かりました。

実際に何人いたのか、今も分かりません。私の身体に触れた手を考えると、最低でも3~4人はいたのではないかと思います。そこで結構な暴行を受け、裸で外に放り出されました。

送迎のお兄さんが怒って部屋に怒鳴り込もうとしても知らん顔だったらしく、警察に連れて行ってくれました。そこで警察に言われたのは、

「人数分の料金取れば良かったのに」
「楽して金儲けしようとするから罰が当たったんだ」

被害届さえ受け付けてもらえませんでした。私としては、恐怖とか怒りとかよりも諦めと失笑。家庭環境からして凄まじかったので『底辺の人間ってこんな扱いしかされないんだな』と思いました。


■私が一番絶望したこと

じゃあ一体何に絶望したのか、というと。

このまま一生見えないままなのか、だとしたら自分はどうやって生きていけばいいのか、こんな暮らしが死ぬまで続くのか・・・ということです。暴行を受けたことよりもはるかに、これはとても恐怖に感じました。

もしも医学的に誰かが認めてくれて、何かしらのサポートを受けられたなら、こんなに絶望はしなかったかもしれません。でも医師からも詐病と言われる中で、どうやって生きていけばいいのか、道が見えませんでした。

その私に一筋の光をくれたのは、知人が紹介してくれた脳外科医。その先生が初めて私の話を真面目に聞いてくれて、

「あなたは恐らく解離性障害だよ。ストレスが限界に達すると、脳がブレーカーの役割を果たすんだ。でも耳じゃなくて良かった。聴力は一度落としたら戻らないから。今はとにかくゆっくりしないと治らないよ」

と言ってくれ、様々な手続きを手配してくれました。そのおかげで、その後多少の後遺症は残ったものの、半年程度で視力が回復しました。

ホステスとして奮起できたのも、コロナで先の見えない不安が蔓延している現在も、私が悲観的にならずに過ごせているのは、この経験があったからこそだと思います。あのときほどつらい状態にはならないだろう、と。


■再び蘇る絶望への不安

昨年1月、急激に視力低下し、手元50cmが見えなくなりました。徐々にであれば老眼かな~で済みますが、たった2週間以内のことで、さすがにこれはおかしいぞ・・・と思い病院へ行きました。

これまた何件も回って「気のせい」だの「視力に問題はない」だの言われましたが、とある大学病院勤務だった開業医のところへ行ったときに初めて重度の調節障害という診断を受けました。

医師が言うには「視力が低下していくことはあっても治ることはない。これ以上視力低下しないように対策していくしかない」とのこと。

心臓がドクッと波打ち、何とも言い難く身体がぞわぞわしました。またあの生活に戻るのか・・・と。ゾッとするとはまさにこのことです。手が震え、身体が冷たくなっていきました。二度と戻りたくないと思ってがんばってきたのに。

目が見えなくなる不安、見えない不安というのは、経験しないと分からないものです。私もそうです。自分が見えなくなるまで、想像することはできても想像の域を出ず、実際にはなんにも分かっていませんでした。

でもやっぱり、周りが「見える前提」で接してくることは、とてもつらかったです。分からないのは当然だと分かっていても、幾度となく説明しても伝わらないもどかしさもありました。それも再び蘇る絶望への不安のひとつ。

でも、今回は明らかに違う不安がありました。


■「大切な人の顔を二度と見ることができない」という不安

あるとき相方と話していて「このまま見えなくなったらどうしよう」と言いました。自分でも予想外の言葉でした。そんな弱音を吐くタイプではなかったので、自分が思っている以上に私は不安なんだな・・・と実感した瞬間でした。

相方は「何も変わらない」と言いました。

「見えなくなったら会えなくなる」と言っても「会いに行くから大丈夫」。「もうご飯食べに行ったりもできない」と言っても「外じゃなくても一緒に食べれたらそれでいいでしょ」等々、全部覆してくれました。

「見えなくなったらもうあなたの顔も見れない」

この言葉を言ったとき、初めて涙が出ました。私が一番不安だったのは仕事ができなくなることでも、生活が変わることでも、見えなくなることそのものでも何でもなかった。彼の顔を二度と見られなくなることが何よりも怖かった。

でも彼が「じゃあ今のうちにいっぱい見ておいて」と言ってくれ、思わず笑ってしまいました。見えなくなったりしない、なんて気休めを言われるより、ずっとずっと嬉しかったです。

「自分が代わりの目になるから」と言ってくれたのも嬉しかったです。実際、私の代わりに運転をしてくれたり、大画面で見れるようにと様々な写真を撮ってくれたり、文字を読んでくれたり、日常的に助けてくれています。


■今の私が思うこと

そして2021年1月13日現在。去年9月に免許更新したときよりもグッと視力は落ちて、見えていたはずの遠距離も見えなくなり、裸眼ではほとんどぼやけるようになりました。

正直今も「見えなくなったらどうしよう」「またあの生活に戻るのかな」という恐怖と不安は拭えません。視力が落ちたと分かったときには、やっぱり落ち込みました。来年はもっと落ちるのかな・・・と思うと心が塞ぎます。

でも、今やれることをやるしかない。

今の私は誤字脱字が多くてもまだ文字を打つことができるし、大きな文字ならまだ読むこともできる。室内も外も歩くことができるし、みじん切りはもうできないけどまだ料理もできる。何よりも相方の顔を見ることができている。

私の目はいつか見えなくなるのかもしれないし、眼鏡をかければ何とか見える状態を保てるかもしれない。先のことは何も、誰にも分からない。だから今の私には、どうしたら今の視力を保てるかを考えて行動することしかできない。

もしかしたらまた絶望感を味わう結果になるのかもしれないけど、見えなくなってもすぐに思い出せるように、彼が言ったように、相方の顔をたくさん見て焼き付けておきたい。

そう思っています。



絶望と一言でいっても、いろんな形があると思うのです。お金がなくて絶望する人もいれば、必死に築き上げてきた仕事や事業を失うことで絶望する人もいるし、家族が壊れて絶望する人もいる。

形は違えど、絶望する気持ちは同じだと思うのです。そしてその絶望感の中にいるときは本当に真っ暗で、藁にも縋る思い。真っ暗過ぎて、そこに道があっても見えない、分からないものです。

下手をすると、道があると教えてくれる人の手さえ、跳ねのけたくなる。

でも、そんな中でも、やれることは必ずあると思うのです。必ず道を照らしてくれる人はいると思うのです。

何もないように見えても、何もないように感じても、踏ん張る気力も出ないほど落胆してもいい。でもほんの少しでも気力が湧いたら、やれること、道を照らしてくれる人を見つけてほしい。

それは国の支援制度かもしれないし、友達や家族、恋人かもしれないし、昨日まで何の接点もなかった見知らぬ人かもしれない。でも誰かに頼ることは恥ではないし、弱さでも何でもないから。

私自身経験した絶望感からも、絶望や不安の中にいるときこそあきらめずにいろんな人と話をして、道を模索してほしいと思います。ひとりで抱え込んでしまうよりもずっとずっと心は軽くなるし、道は開けるはずです。


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