ほんとうの「ルール」

記事
コラム
おこんにちは~(*^-^*)


今日は、1才のわんこと少し遠くまでお散歩してきました。


まだ落ち着きがなくて、いろんなものに目が行って、いろんなものに
興味津々で、隣を一緒に歩くことも癖づけできていません笑


でも、よく私の顔を見てきたり、信号待ちで立ち上がって私の脚に手を
かけてきたり、笑顔でいたりします(*´ω`*)

「ちゃんと見てるよ、大丈夫だよ」って声をかけています。

「お座り」って言うとちゃんとお座りするいい子です。


たのしい気持ち、一緒にいることの安心感、ちゃんと見てることの
安心感。
応えながら、受け止めながら、強制ではなく少しずつ安全なお散歩
を癖づけしていきたいと思っています。


ある程度歩いたところで公園のベンチに座って、日光浴したりだっこ
したりして、一緒にぼーっと休憩するのもたいせつだなぁって
かんじます(*^-^*)

外の世界の、いろんな音。
いろんなひとたち。
ひとびとの言動。
いろんな刺激。
いろんな風景。

眺めながら観察しながら、世界を知ってかんじてもらいたい。

怖いと思うことがあるかもしれないけど、私といるから大丈夫。
なにかあったら絶対守るから大丈夫。

安心感の中で、冒険や探検をして、好奇心旺盛に、たのしんで
世界を好きになってもらいたい(*´ω`*)


この子は自分ひとりで、苦手なことも克服したりできなかった
ことができるようになる子で、教えていないのにできちゃう
ことがあったりしてその賢さやメンタルの強さにびっくりする
ことがあります。


わんこが笑顔でいたり、安心している様子はほんとにいい(*´ω`*)
気持ちがほぐれます。



最近、スマホのニュースとかであんまりいいものを見かけなくて、
なんとなくこころが憂鬱気味でした。

世の中の攻撃性とか、なにか「わるいもの」を見つけてここぞと
ばかりにやっつけるようなもの。

「人権」とか「尊重」とか言いながら少しの「悪」も「隙間」も許さない
ような、世界からほほえみや愛しさ、自由が消えて、緊張や強要、
がんじがらめのルールが増えていっているようなかんじがします。


実際は、私や私のまわりではそういうことってぜんぜんなくて、
ほんとうに起きているんだろうか、って思うくらい別世界です。


なんていうか、「言われてもいない言葉」なんだけど、それを不快
にかんじるひとたちは、自分の中にある概念や傷、トラウマ的な
ものを持ったままで、そこに関連づけて、言われていないことを
言われたような感覚になっている気がします。

過去の私もそうだったし、こころの病気のひとなんかは100%と言って
いいくらいそうだと思います。


だから、話がどんどん大きくなって、自分の中で怒りやかなしみや
許せない感情や敵対心がぐわ~っと出てくる。

「〇〇って言われたってことは、✖✖と言われたこととおなじ」っていう。


ちがうんです。
ぜんぜんちがう。

ちがうなら配慮して、ひとに誤解されないようないやな気持ちになるひと
がいないような発言や行動をしてほしい。

おとななんだからそういうのが当たり前でしょ。


完璧な人間なんていないし、すべてのひとを満足させる言動、いやな気持ち
になるひとがいない世界ってつくれない。

なぜなら、みんなちがうから。


私もここらへんで散々苦しんだ過去があって、自分のなにがまちがって
いたのか、なにが苦しくさせるのかを徹底的にやった年月がありました。


すべては自分でした。

だれかの価値観や世間のルールやだれかの言動なんかじゃなくて、
すべては自分の思っていること、自分の中の定義、善と悪の定義、
愛ややさしさの定義、こうあるべきじゃないと自分は社会やだれかに
認めてもらえない愛してもらえない、受け入れてもらえないっていう
概念。

つくられた期待、つくられた形の中に適応して生きるために攻撃性を
つかっていました。
「悪者」を用意して。

そうしないと、自分のやってることのつじつまが合わせられないし、
自分の存在や価値をかんじることができなかったから。


しあわせやあたたかさや愛ははかなくて、それよりも激しい感情の
方が生きている実感がする。

それくらい、かなしみが怒りに変わるエネルギーは大きい。


だけど、それを反転させることができたら・・・

自分もまわりも、とても健やかでおだやかで安らぎに満ちることができる。


こういうときこそ、世の中的な個人レベルでのチャンス、転機だとも
かんじます。


私はそういうニュースを見てかなしくなるタイプです。
当事者たちのやりとりにもそう思うし、それを知ったひとたちにも
影を落とします。



うちのわんこたちも喧嘩をします。
といっても、1才と7才のわんこなので、本気でお互いが喧嘩する
ことがありません。

1才の方はただ、お兄ちゃんと遊びたいかまってほしい。お兄ちゃん大好き。
7才の方は、おなじ遊びをしたくないし、かまってこられるのが
嫌でしょうがない。

ガウガウやったり追いかけまわしたり。
でも、1才の方はいくら吠えられても軽くガブっとやられてもぜんぜん
へこたれないし落ち込まない。

堂々として笑顔でいます。

あんまりしつこくやっていると、私は声をかけます。
様子も見ながら、ほとんど手出しはしません。

関係性は2人でつくっていくものだから。

そしていつも言うのは「上手に喧嘩しなさいよ~」
「仲良く喧嘩しなさい」


喧嘩や言い合いにも、ルールがあります。

それこそがほんとうの思いやりや伝えるということで、
わかり合っていく過程というもので、別の存在と一緒に
生きているということだと思います。


だから、喧嘩したってひとつのケージに2人で横になっていたり、
嫌なところがあっても傍でリラックスして過ごせたり、
気に食わないところがあっても興味があったりして、
拒絶がない。


ほんとうにだめなことをしたときは、首根っこ押さえこんで
床に倒して真剣に怒ります。

それ以外は好きに表現させてお互いから学ぶようにさせています。

はじめは、7才の方が嫌なことをされていて、それを我慢していて、
どうしたらいいのかわからないフラストレーションがたまっている
ようでした。

それが、自分からちがう行動に出るようになって、お互いがお互いの
嫌なことをし合うようになりました。


これ、私はすごい成長だと思っていて、お互いが嫌なことをされる
ことで、意味がわかってくるっていうか、自分もしていたしされて
はじめてわかることがある。

そこからまた新たな発見や新しい行動が生まれてきます。

自分とちがうタイプの相手とどうやってやっていくか、の学び。


攻撃や拒絶をつかわない関係性、それって動物にもできる。
人間ならもっと簡単にできると私は思っています。


では、また(*^-^*)














サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す