欲しいものを買ってもらえるよろこび

記事
コラム
おこんばんは(*^-^*)

今日2つ目のブログです。

連投です笑


さっき書いている間からもうこれを書こうと思っていました。



さっき書いた中に、私はちいさかったときから一流の美容室にお世話に
なっていたっていうお話を書きました。


美容師さんたちに囲まれて、ちいさいわたしの手の爪にマニキュアを
塗ってもらっていたっていう。

それで、小学校にあがるころ、マニキュアをして学校に行かせられないから
マニキュア禁止!ってことになって、私は「だったらマニキュア取るやつ
買ってよ!」って訴えたっていうお話笑

除光液を買ってもらえなかったっていう。



最近、なにかがきっかけで、思い出したことがありました。
それは、「ものを買ってもらうことのよろこび」についてです。


私の家は母子家庭でした。
母親ではなく、育ての親がいて、それは叔母でした。


バブル崩壊の影響が出るまでは、けっこう裕福だったと思います。
外食や外ですることはたいがい一流のものごとでした。

と言っても田舎だったので、東京や世界での一流というのとはちがって、
それなりの場所や期間修行したり、センスのあるひとたちのお店に通う、
っていうかんじでした。


中華料理ひとつでも、高級ホテルの中にある中華料理店とか、和食もそういう
ところのものとか、ハンバーグが食べたければ高級レストラン。
生ハムなんかもどこでも見かけないときから扱っているお店で食べていたし、それがふつうでした。

すべて叔母の知り合いのお店でした。



でも、私が好きなものやこころがわくわくすることを叔母が知ろうと
してくれたり、認めてくれることはなかったので、ものを買ってもらう
ことに関しては残念な記憶が多かったんです。


私が欲しいもの、私が好きなものを買ってくれるんではなくって、叔母が
私に買いたいもの、叔母が買ったら満足するものを買ってもらっていた
ので、私はぜんぜんうれしくない、むしろすごくいやな気持ちでした。


でも、小学校の低学年のころ、買ってもらっていたんですね。

私がうれしいもの、私が大好きなもの、私がわくわくするものを。


ほかのひとが見たら、「こんなの飽きるんじゃないか」とか
「こんなのたのしいの?」と言われるものであっても、私が興味があって
私がわくわくして、私がうれしいものなら、買ってもらったときの
よろこびって半端ないんです(≧▽≦)


もっというと、「私のことをわかってくれた!」っていう「私を受け入れて
くれた!」っていうよろこびがすごいんです。

買ってもらいたいものを買ってもらえたよろこびもあるけれど、それよりも
「わかってもらった」「受け入れてもらった」よろこびの方が大きくて。

それが親に対する信頼感につながっていきます。



私が小学校の低学年に買ってもらったものは、商品名こそ覚えていない
けれど、車を運転するおもちゃでした。

車の運転席の前方とハンドルがあって、前に道路を走る風景画面が出るやつ。

これ、飽きずに何時間でも遊んでいました。
ひたすら毎日、それこそ翌年も遊んでいたように思います。


つかわなくなってからも、また引っ張り出してまた遊ぶ、っていうのも
ありました。

とにかく、夢中でそればっかり遊びました。

自分でも止められないくらいなにがそこまで好きなのかわからないけど、
でも夢中になれるもの。

わくわくするもの。


数年経って、お人形遊びと並行してお人形のおうちを買ってもらった
ときもでした。

何時間でも、それで遊ぶ。

お友達と一緒になってより、ひとりでそれで遊んでいる方が好きでした。



その、「ものを買ってもらうこと」の大事さ。
「よろこび」


これって、慣れることはないように思います。


現在は、主人が私の欲しいものを買ってくれます。
特別の高いものを私は日常で欲しいと思わないし、桁が上がる場合は私が
自分で買います。

これがいい、これが欲しい。
それに対して「いいよ」
と言ってくれるひと。

受け入れて受け取ってくれるひと。

そういうひとの存在なしに、ひとは安心感を持って関わることってできない
んじゃないか、とかんじます。


ものを買うことではなくっても、あれがしたいこれやってみたい、に
対して「いいよ」「やってごらん」って言ってくれるひと。

そういうひとなしに、ひとが安心感を持って生きることってできないな、
ってかんじます。



主人もこどものころ、欲しいものがあっても親に買ってもらえなかった
ひとで、私もそういうときの気持ちってとてもよく覚えているから、
そして親側の考えていることや思っていることもわかるから、「そうだ
よね~」って笑っています(*^-^*)



私たちがこどものころより、最近のこどもたちは割と簡単に欲しいもの
を買ってもらえているようにかんじます。

このあいだ、主人とドラッグストアに行ったときでした。

絆創膏のコーナーに、こどもたちを案内していた店員さんがいました。

こどもたちは見たかんじ兄弟で、まだ幼稚園か小学校1年生くらいでした。


ふつうの絆創膏と、キャラクターものの絆創膏がありました。

「ここだよ」って店員さんが教えてあげた直後。

こどもたちはキャラクターものの絆創膏を手にして、走ってお母さんの
いる方へ行ってしまいました。


私は「おお!」っておどろきました。

ふつうの絆創膏が200円しないくらいのお値段で、キャラクターものの
絆創膏は500円でした。

それを、すぐさま取っていく。

「うちらのころって、ふつうのしか買ってもらえなかったよね~」って、
主人と話しました。

絶対だめ、高いからって言われて、どれだけ泣こうがお手伝いするとか
言おうが聞いてもらえなくて、強制的で、選択肢がこどもにはなくて、
すごくいやな気持ちになったものでした。

お買い物って、そういう連続、そういうくり返しでした。

親やおとなが言うには「我慢しなくなる」「わがままになる」みたいな笑


逆なんだと思いますね(*^-^*)

だって私、自分の気持ち、こころがわくわくするもの、うれしいものを
買ってもらえない連続でかえってわがままになったと思うし、親やおとな
を嫌いになりましたもん(*^-^*)


欲しいと言って買ってもらったもの、大好きなものを粗末に扱ったり
したら、そのときに厳しく言えばいいわけで。

まだわがままにもなっていない、我慢もできないわけでもないのに、
そうなるかもしれないのを恐れて、そうなってもらったら困るからって、
変なものの取り方で相手を抑圧するっていうのか。

こどもはそこをかんじ取っているので、わかってるんですよね。
自分を信じてもらっていないこと、親が自分の可愛さを優先させて
いることがわかるから、不信感が出てくるようになるっていうか。


親だけではなくって、どんな人間関係でもそうですね。


そういう、最近のこどもが欲しいものを値段関係なく買ってもらう
シーンって見かけるんです(*^-^*)

すごくいいことだなぁってかんじます。


欲しいものを「欲しい」と言えること。
変な感覚で否定されないこと。

否定がわるいわけではなくって、その理由です。

理由によって気持ちよく受け取れたり違和感や不信感をかんじたりする。


個人の時代、個人の感覚を大切にすることの自然さ。
いいなぁって思います。


好きなものを好きと言える、欲しいものを欲しいと言える。
堂々と言えること。

ものすごく単純で簡単なこと。
でも、すごく気持ちがいいこと。


私も生活の中で、これは、というものをひとつだけ高級品にする
よろこびやたのしさをかんじています(*^-^*)

今は、はちみつです。

数千円します。

その辺には売っていないものなので、買いに行ったときにまとめて
買います。

ものすごくしあわせな食事の時間になっています。

香りもすばらしいし、味もしあわせ。
よろこびの時間。


相手がしたいこと、買いたいものを「いいよ」「買えばいいよ」
って言ってあげられる自然な自分、自然なひとが増えたらいいなぁって
すごく思います(*^-^*)

うちは、主人が欲しいもの、したいこと、行きたいところ、全部OKです。

私も誘われていて、でも私は行きたくない、っていうときは断ります。
ひとりでたのしんできてもらったり、私が一緒でないとたのしめないときは
諦めてもらいます笑

主人が「これ買いたい、これいいなぁって思ってるんだけど」ってとき
私は詳しく聞かなくても、お値段がいくらであっても関係なく
「いいよ、お好きにどうぞ」です。


お高くても欲しいなら自分でどうやって金銭的なものを穴埋めしたらいいか
考えるだろうし、お高くなくても欲しいもの気に入ったものがあったら
便利で気分がわくわくするんだろうし、どっちに転んでもなにも困らないので
自由に自分の「好き」をたのしんでもらいたい(*^-^*)

こういうことをしなかった結婚初期のころは、主人はかえって私になにも言わずにお高いものを購入したり勝手に決めたりしていました笑

私もうるさかった人間だったんです笑


多くの旦那さんが奥様に家でされたり言われたりしているような、典型的な
うるさくて強制的な否定的な奥さんを私もやっていました笑

今、まったくないです(*´▽`*)

だから、なんでも話してくれるし、私も聞ける。


関係性っておもしろく変わるものです。


では、また(*^-^*)























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