タイトルが浮かびませ~ん笑

記事
コラム
おこんにちは(*^-^*)


この数日、食べたいという感覚がないです笑


食べれば食べられるし、おいしいともかんじるけれど、食事や食べること
にあんまり意識が向かなくなっています。


食べないでいる時間が長いと、腸が鳴ります。
でも、おなかが空いている感がしないです笑


もっぱらソマベディックのそばに置いておいたお水と、モカコーヒー
を飲んで、ときどきチーズおかきをつまむかんじです( ^ω^ )


もともとおせんべいが好きで、とくに醤油のしみたかたいおせんべい
が好きでした。
最近は、なぜかチーズおかき笑
ひとくちサイズで食べやすいから、1日数枚つまむかんじ。


主人にも話しました(*^-^*)
あんまり食べたいかんじがしないから、食べなくてもいいよね~って。
数日置きとかでもいいよね~って。

そしたら「炭水化物だけ食べていたらいいんじゃない?」って。
身体の維持のために。

ぜんぜん「だめだよ、身体にわるいよ」って言わない笑
否定がない反応がおもしろいなぁって(*^-^*)


私的には、バナナとか、オートミールを入れた小麦粉で生地を焼いた
やつとか、そういうもので食べたいときに糖類を摂ればいいと
思っていたので、それを話すと、納得していました。


今は肉体労働や激しい運動をしていないので、そういうかんじの
食事でも大丈夫だとかんじます。

とにかく「おなかが空く」、「食べたい!」っていう感覚がなくて、
本当に必要なときに必要なものや、自分の身体が感動するような
食べ物しかうれしくないんですね(*^-^*)


インドカレー屋さんに行くと、決まって注文するものがあります。
なんていう名前のものかわからないけど、スープなんです。

「本日のスープ」としかなくて、いつもそれを必ず頼みます。

甘さがなくって、酸味としょっぱさがあるやつ。
あれが大好きで、しあわせでたまらなくなります°˖✧✧˖°

実もいろいろ入っていたりして、その香りもまたたまらない。
お野菜と鶏肉のおだしがまた良くって。


あんまりおいしいから、はじめとおわりに2杯頼んでしまいます(≧▽≦)

自分の身体とこころに染み渡る、至福の食べ物。
「生きている食事」


「生きている感」がかんじられないものは、食べられなくなっています。

タンパク質も大事なんだけど、なぜかあまり気持ちが動かないです。

今日、主人の晩ご飯をつくっていたとき、味見で炒めた豚肉を食べました。

気持ち悪いとかんじました笑

いや、実際にはおいしいんだけれど、なにかちがう感があるような。

食べれば食べられるんだけど、私が必要としていないみたいな。


一応、身体を考えて、サプリメントは飲んでいたりします。
飲んだり飲まなかったりしてますが笑


そんな不思議な数日を過ごしています(*^-^*)





さて、今日は、「引き寄せ」について少しくわしく書いてみたいと
思います。

この間、多くのひとたちが言っている「引き寄せ」がちがうんじゃ
ないか、とかんじているっていうお話をしました。


私が個人的に、スピリチュアルな感覚で体感したお話で、わかったこと
です。


簡単に言うと
「望み」って、足りないからじゃなくて、いやだからじゃなくて、
変えたいからじゃなくて、ただ自分が望むからなんですね。

ほんとうに欲しいもの。

だれかに遠慮することもなく、その望みをすることでだれかを傷つけること
を心配する発想、なにかを気にする発想も出てこない、ただ自分の欲求に
気づいて自分に言えるかだけ。


自分の望みを言うことで、だれかが不幸を味わうとか落胆させるとか、
だれかのしあわせを奪うとか、迷惑をかけるとか嫌な気持ちにさせるとか、
そういうのが隠れているうちは自分のほんとうの望みは出てこない。

自分のほんとうの声は出てこない。


あえて「引き寄せ」という言葉をつかうなら、事象にではなくって、
眠っているときの意識状態を引き寄せることだとかんじました。


自分の中のもうひとりの自分を引き寄せる感覚。

眠っているときや、眠りに落ちる寸前の意識状態、またはとても寝ぼけて
いるときの意識状態です。

あのときの意識状態や感覚を、日常の起きているときにどれだけ近づける
ことができるかで、自分の創造が変わる、そんなかんじがしています。


私たちは、日常の中でしたいことや叶えたいことを無意識でやったり、簡単にしたりもしていて、それはちいさいことほど簡単に無意識にできてしまったり
します。


ネガティブな固定概念や定義がなくて、気持ちが軽やかだから(*^-^*)

眠っているときの意識状態や眠りに落ちる寸前の意識状態って、そういう
重たい縛りになっているものが薄らいでいて、本来の力を発揮しやすい
ところにあるとかんじます。


だから、瞑想がうまくいっているとき、思考が消えて気になることも消えて、
「今ここ」にいる連続のとき、ネガティブな固定概念が外れていて、いろいろな感覚や直感や今までなかった視点がポンと出てきたりします。

いろんなものとつながれる状態になっています。

必要なものとアクセスできる状態になっています。



そして思うのは、そうやって「足りない感」「満たされない感」
「できない感」「いやだ」「変えたい」からすることが、ほんとうの
望みを見つけていく練習になっていて、足りない感からやること、うまく
いかないことの連続が、そこに近づいていく道になっているとかんじました。


私は、瞑想が集中力を養うものだとかんじていましたが、現在は
「瞑想の為に」日常でのことが集中力になっています。


すべて、日常の中ですることは集中力をつかう、そこに入る為のもので、
やることによってその集中力の度合いや色や種類がちがっています。

それを瞑想に生かす、みたいなかんじになっています。


瞑想の感覚、意味が変わってきたというか、瞑想の目的や中身が変わった
かんじがしています(*^-^*)


「無」になることから、「自分のあちこちをかんじる」「いろんな
エネルギーをかんじる」「つながる」「生み出す」になっています。


今日はこれで終わりにします(^-^)
では、また~(*^-^*)








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