自分の命のエネルギー

記事
コラム
おこんにちは(*^-^*)



この数日、大きなスピリチュアル的な体感が続いています°˖✧✧˖°


そのお話を書いてみたいと思います。



このあいだ、晩ご飯が終わって、主人とわんこ2匹とゆっくりしていたとき
です。

テレビがついていました。
私はテレビがついていてもあまり意識が向かないんだけれど、ひさしぶりに
おもしろいとかんじる番組で、自然に笑いが出ていました。
主人も、ひさしぶりにおもしろい番組だと言って、笑っていました。

私はリビングの床に座っていて、自分のいつもの席とはぜんぜんちがう場所に
座って、わんことたわむれながら笑っていました。

なにげない、なんでもないありふれた時間。


そのとき、第1チャクラあたりから、なにかがぐわっとあがってきたのを
かんじました。
同時に、頭の上の空間からもなにかをかんじる。

今までとちがうなにかの動き。
変化。

これまでとはちがうなにかがはじまって、動き出した感覚。

そして、第1チャクラと第2チャクラが一緒に波打ちはじめました。


細胞がわかるとか、自分の身体の全細胞とつながっているのがわかるとか、
はっきりそれをかんじる、っていうのは体験していたけれど、そうでは
なくって。


細胞からというより、それよりもっと小さい単位。
核やミトコンドリアみたいな、そういう小さいところからゾワゾワと、
一気に動き出していました。

今までかんじたことがない、大きな動き。

現実の世界は、なにげない家族のだんらんなのに、自分が体験
しているのはまったくちがう世界で、なにが起きているのかわからない
ほどのギャップ。

そして、制御不能なもの、そういう力でした。


はじめて、チャクラが開いてクンダリーニになりかけたときと
おなじ、自分の意思がまったく通じない制御不能なもの。

自分の意思がまったくきかない命のエネルギー。

そのエネルギーがおなかの中の臓器まで動かして、おなかの中が
すごいことになっていました。

細胞よりもちいさな単位からのうごめきが、内臓に連動されてうごめく。

同時に、頭の上にかんじるなにか。
エネルギーが変わる。
引き上がるかんじ。



そして、昨日の瞑想中もものすごいのがありました。

第2チャクラから、エネルギーが強く出ていて、それが内臓から
うごめいていました。

そして、おなかの中で太陽が昇ったんです。

ものすごいまぶしさ。
熱さ。

身体が急激に熱くなって発汗。

全身の細胞、手足の先まで、中も。
細胞よりもちいさい単位の全身のそれらに、昇った太陽のエネルギーが
伝わって体中がしびれました。

とても細かい細かいしびれ。

細かくてちいさい泡の集まりのようなしびれ。


それが、ものすごく気持ちがいい。


自我がなくなって、自分を忘れて、自分の存在を忘れていました。

それがものすごく気持ちがいい。


自分がいなくなったような世界、自分の存在、意識がなくなった
世界は逆に怖いのがふつうだろうに、ちがうんだっていう。

恍惚。
うっとり。
ものすごい安心感。
広がり。

言葉にはできない感覚。


その、細胞よりもちいさい単位のひとつひとつ、何兆個っていう数の
それらが内側から輝いてあふれ出すエネルギー。

ものすごいものすごい一体感と、つながりと、命のエネルギー。
自分の命の音楽が聴こえているような、輝いてあふれて、集まって、
奏でて、私このまま天界に召されるんじゃないかと思ったくらい、
ぶわーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!っと
自分が光で輝いて、命のエネルギーが出続けて、爆発しそうでした。


こんなこと、あるんだ、こんなこと、体験できるんだ、って。

そして、それは別の言葉でいうと「自分自身と契約した」ような
感覚でもありました。




「今ここ」にいるのってとても重要です。

こういう体験体感の最中はそれをもっとかんじていたいし、感動
したりびっくりしたりします。

その自分の反応や自分の中から出てくる言葉が、そういう体験を
邪魔することが私はよくあります。


「たのしい」とか「もっとかんじたい」とか「うれしい」とか
「これはなんだろう」とか「少しだけ怖いかも」とかそういう
反応が出ると、そういう体験感覚が弱まってしまうことがあります。


これ、繰り返していくうちにわかってきたんだけれど、今ここにいたら
出てこないんですね。

そういう感想とかそういう言葉に換える作業とか、いらないんですね笑
反応もいらない。
ただ、かんじて味わえばいい。


瞑想中、完全に入っている状態のときって、なにも思わないしなにも
ない。
ただただ、今この瞬間にいることを繰り返しているだけ。

だけど、スピリチュアル系の体験の最中は、どうしても反応が
出てしまう笑


だって、おもしろいし興味深いことが起きているから。


「もっとかんじたい」が邪魔になる。
それをしたいのなら、ただただ今ここにあるものを自分がかんじ続ければ
いい。

集中して、瞑想のときのように集中しているだけで、それは終わりまで
ずっと続く。


そうやってどこかとつながっているとき、ときどき、つながる先が変わった
瞬間がわかるときもあります。

エネルギーを交換、つながってやりとりしている相手先が変わったり、
あとはすごい早さで何かの断片の写真みたいなものが視えたり。
私は覚えがないし、知らないもの、知らないひと、知らない風景、状況
だったりするんだけど、その断片はすごくたくさんあるみたいで、すごい
早さでパ、パ、パ、って視える。

知らないものを見ているから何の感情も感覚もないし、早すぎるから
ひとつひとつの意味や内容すら観察することもできない。

これはほんとに最近で、一般的にいう「前世の記憶」みたいなもの
なのかもなぁって。


でも、私は、時間、過去、現在、未来がつながっていないのを体感して
いるので、過去ではないって知っています。

過去と今、今と未来って、間があいていて、抜けているっていうのか、
つながっていないんです。

それぞれが独立しているっていうのか、なんていったらいいのか。

すべては、今この瞬間に生まれているから、過去世っていうものじゃ
なくって、すべて同時。


もしかすると、過去、今、未来そのものも、人間の意識がつくりだした
もので、機能はしていないのかも、ってかんじたりします。
だから、独立しているのかも。


波の中にいる、バイブレーション、その波の中にいて、意識が世界を
つくっているだけで、ほんとうはただの波だっていうのも、体感して
います。

何にもないです笑

波です。

自分も波です。


だけど、身体があることでしか体験できないことがたくさんあって、
エネルギー体だけではかんじられない作り出せないものが
たくさんあって、感動やよろこびやうれしさの大きさ、質、深さ、
かなしみやくるしみもそうです。

そのちがい、ギャップの中を泳いでいるような。


波、バイブレーションを自分好みに色付けして、意味付けして
たのしむのは、ほんとうはすばらしくたのしい。


波っていう簡単なつくりだから、簡単に変えられて、だけど、その
波の中にはものすごい情報量があって、それを自由につかえる。

おもしろいです(*^-^*)


自分に魅了される、自分の見るもの、自分の体験に魅了される。
その時間をつくってはそこに行って、自分のかんじている
ものをかんじる。

自分の命をかんじる。
つながる先をかんじる。

たまらないです。


この瞬間を、ぜひ、たのしんでください(^-^)
かなしみも、よろこびもたのしんでください。

おなじものなんて、二度と体験できないから。


では、また。





















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