ヘレンケラーの言葉を一つご紹介します。
「ローマの都から追放されても、ただ都の外で暮らすだけのことではないか」
慣れ親しんだ環境から離れてしまっても、それは場所が変わっただけのことで
生きていくという事には何も変わりはない。
直訳するとそういう意味ですが
本当は「世間一般の価値観に振り回され、大切なことを見失ってはいないだろうか?」ということを問いかけているんだと思っています。
いま、色々大変な時期が続いていて
元の暮らしに戻ることだけが幸せなのか
自分なりの幸せを新たに考えていくのか
という分岐点に立っていらっしゃる方も多いと感じます。
人は、時として残酷で
そして大きな勘違いをします。
「助けが必要な人を、自分が導いてあげなくては」と。
ただ、その導きはたいてい、「ローマから追放されないため」
要は「一般社会・一般常識から外れないため」のもの。
やむなく飛び出していった人に対して「可哀想」というレッテルを貼って満足する。
これは育児でも、結婚生活でも、親との関係の悩みでも同じ現象が起き
更に、一旦貼られた「可哀想」のレッテルがいつまでも邪魔をするんです。
頑張って、一生懸命生きていることは何も変わらないのに。
「優しさ」って、なんなんでしょうね。
ただ、自分の人生を振り返って気付いたことは
人生に絶望したい時には、優しさが邪魔になるし
自分で波に乗りたい時も、優しさが邪魔になるということ。
今はそれを教訓にして
その「優しさ」は、今の相手の状態にマッチしているか?
相手の視点に立てているか?
常に自分に問いかけるようにしています。