物をもらえたときだけ、安心できた私の話 ― 物への執着ができた理由と、その奥にあった本当の気持ち ―

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はじめに
私は長い間、「何かをもらえたときだけ、自分には価値がある」と感じて生きてきました。誰かから物をもらえると、とても嬉しくて、あたたかくて、「ここにいてもいいんだ」と思える。でも、もらえないと、突然すべてが不安になって、孤独感に飲み込まれてしまう。

それがあまりにつらくて、なんとか安心しようと、子どもの頃の私は「物を得る」ことに夢中になっていきました。

親のお金を盗んで欲しいものを買ったり、
友達の物をこっそり持ち帰ってしまったこともありました。
妹のお小遣いを奪ったこともあります。
今ではもうしないけれど、当時の私は「物がなければ自分は生きていけない」と感じるほど、心が切羽詰まっていたのです。

このブログでは、そんな私の心の癖の背景にあるものを振り返りながら、
「どうして物に執着してしまったのか?」を、
ひとつずつ丁寧に記録していきたいと思います。

もらえた瞬間だけ、安心できた
子どものころ、誰かから物をもらえると、心の奥がふっと軽くなる気がしていました。それが、たとえ欲しかったものじゃなくても、ちょっとしたおすそ分けでも、「わたしのことを見てくれた」「今の私は、ここにいてもいい」と感じられる瞬間が確かにあったんです。

でもその安心は一瞬で消えてしまう。
そしてまた、「もっとほしい」「もらえないと、見捨てられたような気がする」と感じてしまう。
そのくり返しに、子どもだった私はどうしても抗えませんでした。

「もらえたときだけ安心できた」経験が、すべてのはじまりだった
私の「もらうこと」への強い執着の出発点は、幼少期に受けていた虐待の中にありました。

とくに、勉強や習い事(ピアノや公文)を通じて、母からの激しい暴力を受けていたことが大きな要因です。

ピアノで母の期待通りに弾けないと殴られる。
公文で一問でも間違えると、服を脱がされ、裸のまま殴られ、蹴られ、髪を引っ張られる。
「なんでできないの!」と怒鳴られながら、何も言えず、ただ耐えるしかなかった。

そんな中で、母が唯一やさしくなる瞬間がありました。
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