『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
大学生の頃、下宿していたアパートの近くに住む中学生に家庭教師として国語を教えていました。
ライトノベルを読み込んでいる読書好きな子でしたが、なぜか国語の読解問題となるとさっぱりお手上げ。
ぬき出し問題や選択肢問題でもそのありさまですから、まして記述問題になると手も足も出ない状態でした。
中学受験はしていない生徒さんだったので、私はとっさに「抽象的な思考の訓練が足りないのでは…」と分析したんですね。
そんなある日、彼が学校に提出する課題作文を添削する機会に恵まれました。
早速見させてもらうと、自力で書いた最初の作文に「友達に怒られてショックだったけど、おかげで自分の良くない点に気づけた」と書いていたんです。
私は内心、ガッツポーズ。
なぜならこれは、"自分の体験を通して何かを学んだ"と発展させやすい良い流れで、抽象的思考を実践的に理解してもらう絶好のチャンスだったからです。
そこで私は彼にこう尋ねました。「今その経験を振り返ってみて、いったいどんなことを学んだと思う?」と。
すると彼がひと言、「うーん…人に注意されるのは嫌だけど、直すチャンスでもあるってことかな」。
これです。これこそまさに抽象化思考の第一歩!
体験から"教訓"を引き出す。
教訓なんて古くさい話と思いますよね?
しかしじつはこのありふれた反省のスタイルの中にこそ、読解にも記述にもつながる思考のヒントがあります。
子どもはよく、「今日何があったか」は話してくれます。
でも「そこから何を学んだか」については、大人が意識的に問いかけないとまず言葉にしません。
まして学校や塾で文字だけで書かれた教材を前に、「要点をまとめよう」「筆者の考えを説明しよう」と言われても、うまく行かないのは当然でしょう。
だからこそ、家庭での会話が大事。
何気ない日常のなかで「それってどういうこと?」「どんなことを思った?」と声がけしてみてください。
そして時には「その経験から何を学んだ?」と一歩踏み込む。
この流れをさりげなくくり返すことで、子どもの頭に「具体から抽象へ」と考えを深化させる強じんな思考回路が育ちます。
抽象化の力は、一朝一夕には身につきません。
でもその始まりは、昔ながらの教訓の発想にあるんです。
たったひとつの具体的な経験から、子どもなりの"学び"を引き出すこと。
それが積もり積もって、いつか国語力を下支えする強力な土台となっていくのです。