『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
塾に通っていれば宿題が出るはずですが、国語の記述問題はちゃんと解いてから授業に臨んでいますか?
「よくわからないから、解説聞けばいいや」
すべてのことで自分に厳しい必要はないと思いますが、もし国語の成績を上げたいなら、"解かずに解説を聞く"ことだけは厳しく自分に禁じてください。
何も必ず正解を導けなんて言いません。的外れな回答でもかまわないので、制限字数の8割以上の答えを作ってから、授業の解説を聴いてほしいのです。
以前このコラムでも書きましたが、国語は算数と違い、自力で答えを作ることなく模範解答を見ると、その設問はたちまち価値を失います。
算数の場合、正解の数字だけ見て「なるほど」と思うことなどありえません。
なぜその数字になるのか、肝心のプロセスがわからなければ、いかにめんどくさがりな子と言えど「この問題もう済んだ」とは思わないでしょう。
しかし国語の場合、物語文でも論説文でも、記述問題で求められているのは結局、書かれてあった内容の把握に過ぎません。
国語の答えを見て「おー、そうだったのか!」と思わず膝を打った経験なんてありますか?
たいていは「ああ、なるほどね」と無感動に納得して終わりです。
まとめ方のうまさに感心することはあっても、内容に感心することはまずありません。
読んだ文章のある部分について丁寧にまとめ直したに過ぎないんですから、当たり前と言えば当たり前。
でもだからこそ国語は自力で解くことが重要で、答えを見るのも解説を聴くのも、自分なりの答えを作った"あと"でないと困るんです。
なぜかと言えば、"学習"として最も効果が上がるのは、"苦労して自分なりの答えを作る"時間であって、塾で受け身で解説を聴く時間ではないからです。
宿題で記述問題を飛ばしてしまうことが多く、テストでも記述問題に空らんが目立つ子の場合、国語の勉強に関してタイパが異様に低い可能性大です。
「勉強しているのに、なぜ成績が上がらないのかしら…」
そうじゃありません。勉強という名目で過ごしている時間は多くても、実質的に学んでいる時間がものすごく少なくて、だから成績が上がらないんです。