『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
国語は"書き言葉としての日本語"を学ぶ教科です。
話し言葉としての日本語は、ネイティブならば"意識的に学ぶ"のではなく"自然に身につく"ものなので、わざわざ学校で教わる必要がないんですね。
今やAI全盛で、AIは難しい医学論文でもあっと言う間に大量に読んで理解できると言いますから、もう人間には太刀打ちできないでしょう。
昔聞いた話で印象的だったのは、コンピューターに自動翻訳をさせる場合、難しい本ほどコンピューターには簡単だと言うんですね。
たとえばデカルトの『方法序説』だったら、たちどころに翻訳してみせるでしょう。
理由は明確で、ようするにデカルトが精緻に論理的に言葉をつむいでいるからです。
逆にコンピューターが一番苦手とするのは、子どもの話す言葉だと聞きました。
子どもの言葉は興味のおもむくままあっちこっちへ話が飛び、論理もへったくれもありません。
人間の大人が見れば、『方法序説』と子どもの言葉は圧倒的に前者が難しいわけですが、コンピューターにとっては逆に後者が処理しづらくなります。
でも今のAIはそのあたりも克服しているのでしょうね。
ロボットの進化もすさまじいですが、これも大昔に聞いた話では、どんな動きが難しいかで言うと、シャツのボタンをはめる指先の動きらしいんです。
ふだん何げなくやっていますが、機械に再現させようとするとこれがきわめて困難なのだと聞きました。
ずいぶん前の話ですから、これも今は解決しているのでしょうか。
気になったのでChatGPTに聞いたところ、
成功させた事例もあるにはあるが、数分かかるケースもあった。とは言え、あと5~10年後には実用化の見通しもある。
との回答。
「へー、まだできてなかったんだ!」と私としてはビックリ。
そう考えると、あまりよく見もせず、すいすいシャツのボタンをはめちゃう人間ってすごいんですね。
バブバブ言ってて自分でトイレにも行けない赤ちゃんが、話し言葉の発音・語い・文法などを自然に身につけるのも、よく考えると驚異的な事実。
そんな話し言葉に比べれば、書き言葉なんて副次的なものとも言えます。
みんな話し言葉の日本語のプロなんですから、その自覚とプライドをもって国語の勉強に取り組みましょう。