国語講師のひとり言「違和感も大事にしよう」

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コラム
『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』
小学生の頃国語の勉強で、「どうもこの表現よくわからないなぁ」と感じることがしばしばありました。

今でも覚えているのは、ことわざの「急がば回れ」。

「イソガバ? イソゲバじゃなくて?」

ずっと変だと思いながら、誰に確認するでもなくそのままにしていたのは、いかにも子どもだよなぁと今では思います。

ただ、

古文の四段動詞「急ぐ」の未然形+「ば」で、「もし急ぐなら」という順接仮定の意味になるんだよ。

なんて説明をされたとしても、小学生にはチンプンカンプンだったでしょう。

それから対義語の「分析⇔総合」もよくわからなかった記憶があります。

今なら、科学と宗教、西洋と東洋などを対比させながら論じる文章の理解に、この対義語が役立つとしみじみわかるのですが…。

なんでもかんでもその場で全部わからずとも、違和感として頭の片隅にとどめておくことで、いつか「あっ!」と気づく瞬間がやってくる気がします。

この「あっ!」までの長い時間、もしかしたら脳の中では、疑問の氷解に向けた無意識の作業が行われているのかもしれません。

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