猫目石①

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三月、早春の木々の若芽が、やっと長く厳しい冬を乗り越えて膨らみ始めた朝、
琴美21歳は霜柱を踏みしめザクザクと歩いていた。
向こうから、首にマフラーを巻いて白い息を吐きながら、こっちに歩いて来る長髪の男の子が琴美を見て、にこやかにお早う~と声を掛けながらすれ違った。
男性用の整髪料の微かな匂いがした。
だれ?
あの人は私の知り合い?じゃないよね。
でも、結構イケメンだったし、まっ良いか。

今日は絵の作品発表審査会が六本木の画廊で開かれる。
私が描いた作品が大学で高評価を貰った。
関東一円の大学から、それぞれ出来が良い絵を集めて今回の作品発表兼審査会となったから、琴美は心弾んで六本木へ向かっていた。

お洒落な六本木の画廊に着いた。
洋館風のその建物は、ルネッサンス彫刻が壁や柱に施されていた。
琴美は彫刻入りの重厚な白い扉を開いて中に入った。
コーヒーの良い香りが琴美の鼻をついた。
この画廊は喫茶店でもあった。
琴美は、エスプレッソのブラックをオーダーした。
馥郁たる香りとブラックのエスプレッソコーヒーをゆっくり味わってから絵を見て回った。

絵が100点ほど展示されている。
人は結構な数いる。
殆どが、学生ばかりで社会人は平日だし、まばらだった。
審査員が一点ずつ採点を付けていた。

琴美は自信が全く無かったので、評価には関心が無かった。
それよりも他の作品を興味を持って見て回った。
ヨットと海の絵、神秘的な山の稜線、街角雑踏の味わいなど見て回ったが、琴美が気に入ったのは、花瓶に生けてある花桃を描いた絵だった。
八重の花びらが大きく派手に八方広がり濃い桃色、薄桃色、萼の薄緑と美しいコントラストを再現してあるこの絵に見入った。

その花桃の花瓶の横に一匹の黒猫が描かれている。
綺麗な姿で端正に座り長い尻尾をくるりと体の横に沿わしている。
その眼は、宝石のように輝いている。
異様な一条の光を放つその猫の眼と合った瞬間、琴美は急に眩暈がしたかと思うと意識を失ってその場に昏倒してしまった。

琴美は意識の中で白い朝もやのような中を歩いている。
靄の中を透かして見ると周りは唐のお寺のような建物が並ぶ都のような風情だ。
しかし、人影は誰一人として見えない。
ただ、朝もやのような中に金、銀、瑠璃鮮やかな色彩の豪奢な建物が軒を並べて建っているだけ。
周りは濃い森の茂みとなっているようだ。

はっ、ここはどこ?私は誰?
と自分に問うた。


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