自分の「愛の定義」を超えたところの愛に気づく

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占い
「定義」を簡単に説明すると
「〇〇とは△△である」という
認識のことですが
これは細かく見ていくと
人によってそれぞれ異なります。

「愛の定義」はみんな同じ?

「愛とは」の定義に関しては
・愛していると伝える
・抱きしめる
・相手を守る、喜ばせる
などの行為は
多くの人が確かにそれは愛だと
認識しているかと思います。
ただそれは、愛を大枠内で捉えた時の話です。

これが個々人レベルでの話になると
「愛とは」・・・自分がこうしてもらえたら
または、自分がこうしてあげられたら
心が満たされ愛情を感じられる行為
なっていることがあります。

以前の私の場合で言うと
子供のころ
親に十分にかまってもらえず
とても寂しかったのに
養子として居させてもらっているという
申し訳なさや
親に負担をかけてはいけない
という思いから
ストレートに甘えることができませんでした。

本音ではもっと自分を見てほしい
もっと側にいてかまってほしい
と思っていて
それがないからこんなに寂しくて
逆にそれが満たされれば愛されていると
感じられると思っていたのです。

つまり私にとっての「愛」とは
側にいてかまってくれること。
もっと究極に言ってしまえば
自分の要求に応えてもらうことが
でした。
要求に応えてくれたら
それは分かりやすく満たされるもんね。

いやでも、親も完璧なわけではない。
忙しくて疲れていたり
イライラすることもある。
側にいる時間が取れない中で
親ができることは
物を買い与えることや
近所の人に見てもらうことでした。
それができうる限りの愛情の形だったのです。

結局、私が思っている(欲しい)愛と
親が示めす愛は異なっているだけで
愛はちゃんとあることに気づいたのです。

愛の気づきには深さがある

これだけでも十分大きな成長ですが
さらに気づいたことがあります。
それは、自分の名前を呼ぶ親の声です。
今は亡き両親ですが記憶の中の
日常生活で私の名前を呼ぶその声に
すでに愛は詰まっていたのでした。
愛に特別な言葉や行為は
必須ではありませんね。
こうして愛に気づいていくうちに
今ままでの私は何をやってたんだろう
何と戦ってきたんだろうと
何度も思いました。

愛はあたり前の中にあります。
あたり前すぎて見えないことが
たくさんあります。
愛の気づきには深度もあります。

一気には進まないかもしれないけど
その隠れている愛を
一つ一つ奥底まで気づき体感することで
「愛されていない自分」
「孤独な自分」
を卒業していくことができます。

でも現状すぐそうなれなかったとしても
焦る必要は全くありません。
初めは少しの気づきからでいいんです。
少しの気づきがまた次の気づきに繋がります。
体験を伴いながら気づいていくものです。

誰もがいくつになっても
自分の人生をクリエイトする
可能性を秘めていますよ✨


長くなったので続きはまた次回😊
読んでくださって、ありがとうございます✨







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