地味に実家がつらい 〜モッパンさせられてる!?〜

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コラム
最近になって「モッパン」という言葉を知った。

なんでも、韓国語が起源で、出演者がひたすら食事している風景を発信している動画のことらしい。

そのとき、思った。

ああ、そういう映像を好んで見る人、見たいと思う人がいるのだな、と。

妙に納得した。

…思い出すのは、祖父母も一緒に暮らしていた実家。

祖父母は、私にどんどん食べさせて、それを見ているのが好きだった。戦時中にひもじい思いをしたこともあってか、とにかく「子供がパクパク食べる姿が見たい」と。

いわゆるふつうの「モッパン」と違うのは、食べる側が自分の意思で食べていないということだ。限界を越えて、どこまでも出される食べ物。「もう許してほしい…」と思いながら、ひたすら食べる。

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独立してからも、帰省のたびにそれは地味に続いている。

こういうことを嘆くと、「食べたくても食べられない人がいるんだよ」「ご馳走になっておいてなんて奴だ!」とたくさん説教されることは知っている。また、「微笑ましい」「おじいちゃん、おばあちゃんに愛されているんだね」というコメントもよくある。

夫でさえ、最初はそういった「一般的な」コメントをしていた。「いくらだってやりようはあるだろ」と。月イチくらい我慢しなよ、とも。

しかし、半年後……夫は「食べさせられ過ぎるのがツラい」として、私の実家に顔を出すのを躊躇しはじめた。

「食べるまでしつこく説得される。断りつづけると、だんだん自分が悪者みたいになってくる…」のだそうだ。

たぶん、そのツラさは、「食べさせられる」ストレスに加えて、「話が通じない」ストレスもあると思う。

「もう、お腹がいっぱい」と言っても、「若いんだから〜」とどんどん追加されるおかわり。「もう本当に、食べられない」と何度も言うのを聞き流して新たに茹でられる蕎麦。

「若いのがたくさん食べるのを見てるのがいいんだ」と言うが、食べさせられる側にもキャパシティというものがある。

外食で自分の分を注文しても、勝手に「この子たちに、唐揚げと、ポテトサラダ、あと特大プリンを!」…と追加されるので慌てて止めることもしばしば。「いいから!いいから!食べなよ〜」「やめてよ〜!」と店員の前で押し問答。…これを、コントみたいで微笑ましい、という人もいる。

絶対に折れない親たち。

全部最後まで食べなければ、雰囲気が悪くなる恐怖。

帰りの車や電車で、気持ち悪くなって、吐きそうになるのはいつものこと。

その後2日くらいはお腹を壊す。

帰省したくない……と、思ってしまう。

それでも高齢の祖父母から「もっと顔を見せてほしい」と電話が来る。
「こんなにもてなしているんだから、もっと帰って来い。」とも。

もちろん、ご飯は私が用意することもあるが、それを食べているそばから餅を焼き始める祖母。食後に用意されている高カロリーのケーキ。

2時間後には、また「おやつよ〜♡」と声がかかる。

本当に辛いのは、体を張ってモッパンで楽しませているのに、傍から見れば「もてなしている親」と「食わせてもらっている子」であることだ。私は、感謝すべき立場にいるということだ。そして、親もそう思っている。

きちんとお礼をして、次も顔を出すことを約束する。

***

動物園でお金を出して餌を買ってでも、動物が食べているところを見たいという人がいる。

カバがすいかをまるごと食べるショーが人気らしい。

たくさん食べる姿は、人に元気や勇気を与えるのだろうか?

いや、違う。

ひとは、たぶん、昔の満たされなかった思い出を、何らかの形でやり直したり塗り直したりしないと、本当の意味で前に進めない。

「そのこと」だけは、心が「あの日」に留まってしまうのだと思う。
(「そのこと」はもちろん、ひとによって違う記憶だ)

祖父母にとってそれは、たぶん、今も抱える「飢え」への恐怖。

…戦争。ひもじさ。私には、その実感がない。
だから、黙って寄り添うしかない。


子供の頃、それが理解できず、食べさせ続ける親に反抗してしまった償いもかねて。

祖父母自身が、たくさん食べることはもうできない。

だから、食べる姿をみたいのだろう。

祖父母が、満たされるなら。

笑顔で食べよう。




つらい記憶も、「今、つらい」も、何でも聞きます。「恵まれてるんだから感謝しなきゃね〜!」ということも、時にはつらいですよね。



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