【良くなることを願わない】

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日常的スピリチュアル、安田です。

誰でも、漠然とながらでも
良くなることを願うのですが
良くなる基準は分かるようで
分からないのです。
何が良い状態であるのかの
定義ができないということです。
破壊と創造というと
破壊が悪くて
創造が良いという
ことではないのです。
創造するには
破壊が必要なので
破壊を悪く定義することは
できないのです。
誰でも居心地の良さを
願うのですが
居心地の良さによって
成長ができなくなるのです。
現実の環境に
感謝することは
必要なのですが
満足をしてしまうと
それ以上の成長はできないのです。
逆に厳しい環境であれば
否応なしに努力をするしかないので
成長の観点から見たら
恵まれた環境なのです。
なので、何が良いか悪いかは
表面的なことだけでは
結論は出せないのです。
良くなることを
願わないというのは
自分次元を基準にした
良し悪しを願わないということです。
大抵の人は
表面的な現象でしか
判断ができないのです。
宇宙の法則は
常にバランスが取れていて
何かを得るためには
何らかの代償が必要なのです。
代償なくして
受け取ったことは
何らかの形で
代償を払うようになります。
良くなることばかりを
願うというのは
受け身であるのです。
受け身体質でいると
与えることができず
投入することができなくなります。
多くの人は
受け取れるかの
心配ばかりをしますが
受け取れるかは結果であるので
コントロールができないのです。
コントロールができないことを
心配してしまうと
プレッシャーになり
ストレスが溜まるのです。
良くなるかどうかは
どうでもいいことなのです。
受けれる心配をするよりは
与えられているか
投入できているかの
心配をするべきなのです。
コントロールができる
心配をしていくことで
その心配を解消する歩みが
できるのです。
心配症の人は
誰よりも努力ができ
常に最善を尽くすことで
心配を解消しようとします。
結果はコントロールが
できないのですが
原因をつくることは
コントロールができます。
完全完璧の歩みは
できないにしても
最善を尽くすことで
原因をつくることができるのです。
ですが、結果というのは
どのような形で実るのかは
分からないのです。
願った通りに
実ることもあれば
願った以上に
実ることもあるし
場合によっては
願わない方向に
導かれることもあります。
願うことは必要なのですが
「これはこうあるべきだ」という
固執をしてはいけないのです。
願っても
結果は委ねるしかないのです。
結果を委ねるというのは
「どっちでもいい」という
どちらも受け入れるということです。
実際的に
コントロールができないことは
委ねていくしかないのです。
努力をし、最善を尽くせても
結果は委ねていくしかないのです。
結果に左右されてしまうと
努力を続けることができなくなり
最善を尽くすことが
できなくなります。
やってもやっても
結果が出ない時期は
忍耐しながら歩み続けることで
忍耐力を身につけることができ
体験を増やすことができるのです。
結果が出ないからといって
無駄になることはありません。
結果が出ないことで
できる体験があり
より成長ができるのです。
結果が出るか出ないかは
私たちにはどうすることもできないので
最善を尽くすことだけに
集中し、投入していけばいいのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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