天才作家が書き続けられる理由とは?

記事
コラム
この記事を訪問してくださって、ありがとうございます。 

前回の記事【好きなことで食べていく方法とは?】について、意外なほど反響がありました。

現在私と取引中のお客様からもご意見をもらったり、ダイレクトメッセージでコメントをくださった方もいます。

価値を生み出す習慣を作ることの大切さと、その習慣を支える「仕組みづくり」に目を向けることについて、気付きがあったということです。

今回は、その内容からもう一歩踏み込んで、具体的な「習慣作り」についてプロの作家が実践しているワークから見ていきます。


日本を代表する作家の「村上春樹さん」は多くの方がご存知だと思います。
文学界の巨匠ですね。
彼の独創的で洗練された表現は、世界中の多くのファンを魅了しています。 

代表作には、
・羊をめぐる冒険
・ノルウェイの森
・1Q84
・騎士団長殺し

などがあります。

その彼が「作品を生み出し続けること」について、とても興味深いことを話している自叙伝のような著作があります。
その著書の内容からベストセラー作家の秘密を探っていきます。

書くことが仕事のベストセラー作家が、どのような習慣をキープすることで価値を生み出し続けているのかを知ることは、私達の活動にもそのまま活かすことができます。

自分の個性を輝かせていく秘訣を一緒に探っていきましょう。


■ベストセラー作家の恐れとは

5fcd55b303508d1d18a9237758dadc83_s.jpg

以下、村上春樹氏の著作「走ることについて語るときに僕の語ること」からの引用となります。

”「しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。」”
”「そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えれば、よりパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免疫システムを作り上げ、長期にわたって維持していくには、生半可でないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなくてはならなくなる。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?」”
これは彼が「小説家」として生計を立てることを決意した際に「基礎体力の大切さ」に目を向けたという内容です。

それこそが書き続けるためのエネルギーの源であると、そう判断したということです。

また「体内の毒素」という表現も出来てきますが、これは単純に病であったりもしくは「怠惰」であったり、精神的な病などを指しているとも言えます。

それらと戦う、つまり進み続けることを邪魔する「マイナス要因」に対しての「免疫システム」を強化するためには、まずは基礎体力の維持が必要不可欠だと判断したのですね。

小説を書き続けることを選択した背景には、決して楽なことではなくむしろ苦行とさえ感じていたことが伺えます。
そしてそういった恐れと向き合い、それを乗り越えていく方法を考えることの重要性が伝わってきます。

■体力や体調の維持管理こそが価値

2100577_s.jpg

”「ところで、専業小説家になったばかりの僕がまず直面した深刻な問題は、体調の維持だった。もともと放っておくと肉がついてくる体質である。これまでは日々激しい肉体労働をしていたので、体重は低値安定状態に抑えられていたのだが、朝から晩まで机に向かって原稿を書く生活を送るようになると、体力もだんだん落ちてくるし、体重が増えてくる。(中略)これからの長い人生を小説家として送っていくつもりなら、体力を維持しつつ、体重を適正に保つための方法を見つけなくてはならない。」”

これは太りたくない、肥満は病につながるという観点からの「体重の維持」についての言葉です。
また書き続けるための体力の維持についても、その重要度を感じていたということです。

机に向かうだけだから楽だよね?という安易なイメージは、私達は捨てる必要があるのかもしれません。

そして自分の作品を生み出し続けるための「仕組み化」について、当初から真剣に向き合っていたことがわかります。

この発想こそが、彼の成功の大きな要因であったことは、結果を見れば明らかですね。

また村上さんと言えば「マラソンランナー」というイメージも強いのですが、体力維持のために始めたランニングについても詳しく語っています。

実際彼は、1年の365日を休まず走り続けることで、すっかりマラソンにのめり込んでしまいます。やがては100kmマラソンにもチャレンジするようになりました。

”「マラソンは万人に向いたスポーツではない。小説家が万人に向いた職業ではないのと同じように。僕は誰かに勧められたり、求められたりして小説家になったわけではない(止められこそすれ)。」” 

”「思うところあって勝手に小説家になった。それと同じように、人は誰かに勧められてランナーにはならない。人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか──そちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、僕のメンタリティーにぴたりとはまるスポーツだった。」”

彼の視点から、小説家であることとランナーであることについての関係性を、語っています。

誰かに「書け」とか、「走り続けろ」と言われたからやるのではなく、自分にとってそれが価値ある生き方だと知っているのですね。
他人の評価ではなく、行動することや自分の基準を満たすことに注目していたようです。 

そして彼の「自分自身の基準を満たすため」という観念は、そのまま作品造りに活かされています。

それは作品を提供する社会に対しての「価値と価値の交換」にもつながっています。

”「継続すること - リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。」”
”「昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。」”

ここで私達にとっても、かなり参考となるアイデアがあります。

それが「継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない」という部分です。

つまり習慣化、それを落とし込むための仕組み化に対して、常に気を配るということです。
これは作業をやるかやらないかというよりも、作業するための環境に身を置いているかどうかを意識しています。 

環境作りの大切さ、仕組み化の必要性を訴えているのです。

そしてほんの少しでもいいから、一歩だけ進むことが大切なんだと伝えています。

また最初は誰もが大変で、重たいトロッコを押し出すための力が必要だということです。
でも一旦動き出してしまえば、後はどんどん楽になっていくのです。 

■マラソンメダリストと小説家のやる気

74c9737078e6f53f12f08595e4de519e_s.jpg

また自分の職業とやる気との関係について、村上さん自身がマラソンのメダリストにインタビューした内容がとても面白く参考になります。

”村上春樹「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝てたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」”
”瀬古利彦「(なんちゅう馬鹿な質問をするんだという声で)当たり前じゃないですか。そんなのしょっちゅうですよ!」”

やる気と結果は必ずしもリンクしていないということが伺えますね。

そして次の村上さんの言葉が身に沁みます。 

”「忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。」”
”「僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」”

小説家として進み続ける必要があるということ。 
そしてそのための「目的や理由」が少しでも見つかったのなら、そこに注目してそれを大事に磨き続ける必要があると語っています。

これは気まぐれや思いつきではなく、しっかりとした思考の土台を育てていくことで、作品を生み出していることが見えてきます。

価値を生み出すことの意味を、常に磨き続けることが大切だと言えます。
漠然としたものではなく、そこに意識を向けることです。

ここまで読んでも、彼の言葉はかなり参考になったはずです。

世界的なベストセラー作家が、このような背景を元にして価値を生み出し続けていたのですから、私達も自分の価値創造にこのアイデアを取り入れることができます。

村上さんの場合はマラソンを始めることで、体力の維持に加えて継続力や精神力を養うことを目的としました。
実際には脚の痛みと向き合いながら、過酷な状況でも毎日走っていました。

次に、実際に作品を書くために、彼が具体的に取り組んでいた方法について紹介します。

■書くための空間に身を置く

4181311_s.jpg

これは村上さん自身が「チャンドラー方式」と呼んでいます。

”「ずっと前にレイモンド・チャンドラーが「小説を書くコツ」について語っていた。細かい点まで正確には覚えていないが、ともあれ、僕(=村上春樹)はそれを「チャンドラー方式」と呼んでいる。」”
”「まずデスクをきちんと定めなさい、とチャンドラーは言う。自分が文章を書くのに適したデスクをひとつ定めるのだ。そしてそこに原稿用紙やら(アメリカには原稿用紙はないけれど、まあそれに類するもの)、万年筆やら資料やらを揃えておく。きちんと整頓しておく必要はないけれど、いつでも仕事ができるという態勢にはキープしておかなくてはならない。」”
”「そして毎日ある時間を――たとえば二時間なら二時間を――そのデスクの前に座って過ごすわけである。それでその二時間にすらすらと文章が書けたなら、何の問題もない。」”

これも「環境作りと習慣化」のことですね。
価値を生み出すための仕組みを作って、それを継続することの必要性について述べています。

”「そううまくはいかないから、まったく何も書けない日だってある。書きたいのにどうしてもうまく書けなくて嫌になって放り出すということもあるし、そもそも文章なんて全然書きたくないということもある。あるいは今日は何も書かない方がいいな、と直感が教える日もある(ごく稀にではあるけれど、ある)。そういう時にはどうすればいいか?」”

ここに作品を生み出し続けてきた答えがありそうですね。
天才作家であっても決して順風満帆ではなく、産みの苦しみもあったに違いありませんから。

では実際にその答えを見ていきましょう。

”「たとえ一行も書けないにしても、とにかくそのデスクの前に座りなさい、とチャンドラーは言う。とにかくそのデスクの前で、二時間じっとしていなさい、と。その間ペンを持ってなんとか文章を書こうと努力したりする必要はない。何もせずにただぼおっとしていればいいのである。そのかわり他のことをしてはいない。本を読んだり、雑誌をめくったり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、猫と遊んだり、誰かと話をしたりしてはいけない。」”

果たして同じことが私達にもできるでしょうか?

もしそれができたなら・・・
例え無名の作家であっても、世の中に価値を生み出す可能性が高まるとは言えないでしょうか?
それを実際に村上氏が作品を生み出し続けたことで証明しているのですから。

■環境がひらめきを呼ぶこともある

4275560_s.jpg

”「書きたくなったら書けるという体勢でひたすらじっとしていなくてはならない。たとえ何も書いていないにせよ、書くのと同じ集中的な態度を維持しろということである。」”
”「こうしていれば、たとえその時は一行も書けないにせよ、必ずいつかまた文章が書けるサイクルがまわってくる、あせって余計なことをしても何も得るものはない、というのがチャンドラーのメソッドである。」”
”「僕はもともとぼおっとしているのが好きなので、小説を書くときはだいたいこのチャンドラー方式を取っている。とにかく毎日机の前に座る。書けても書けなくても、その前で二時間ぼおっとしている。」”

ここにも秘密がありましたね。
「書くのと同じ集中的な態度を維持しろ」というのは、書くのではなく「態度」に目を向けているということです。

もし書けたなら、それは望む結果です。
でも当然「書けない時」があります。

その時に無理に書こうとするのではなく、書く時の態度を選択するだけで、自動的に書けるようになると言っているのです。

これって凄いことだと思います。
書けなくても、気分が乗らなくても、書けるようになってしまうのですから。
つまり成功を回避するような思考や気分に襲われたとしても、習慣と向き合うだけで成功してしまうということです。

上手くいくときは上手くいく。
上手く行かないときはあがくのではなく、上手くいくように整えることはできる。
その流れの中に自分を置いてあげる。 

引用は次で最後になります。

■価値のある表現には生命が宿っている

c2f1e574ec725bedb14791265ea26aff_s.jpg

”「私は思うのですが、生命を有している文章は、だいたいはみぞおちで書かれています。文章を書くことは疲労をもたらし、体力を消耗させるかもしれないという意味あいにおいて激しい労働ですが、意識の尽力という意味あいでは、とても労働とは言えません。 」”
”「作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日に四時間くらいは、書くことのほか何もしないという時間を設定することです。べつに書かなくてもいいのです。もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。窓から外をぼんやり眺めても、逆立ちをしても、床をごろごろのたうちまわってもかまいません。」”
”「ただ何かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません。書くか、まったく何もしないかのどちらかです。(略)」”

この「生命を有している文章」というのは、そのまま「価値のある表現」だと言えます。
そしてそれを生み出すことは「疲労」にもつながると言っています。 

ここで「疲労=大変」と思うのではなく、「成長や価値=喜び」に目を向ける必要があります。
そして疲労とも向き合っていくのです。 

そして私達のような「価値を届ける、生み出していく」という志を持った仲間は、アウトプットできる環境、つまり「書くこと」と向き合う時間を持つ必要があるのです。

習慣化してしまえば、ある意味で作業は楽になっていきますが、そうでない場合は達成が難しくなるとも言えますね。

今回は内容がかなり濃いので、別の話は次回にします。

自分が置かれている環境の中で、価値を生み出し続けることができる仕組みを考えて、それを習慣にすることを意識してみて下さい。

それだけで成功です。
それ自体が価値となります。

私達も実際に書けるときはすらすらと筆が進みますが、「書けない時」は意志の力を消耗したり、ストレスを感じたり自信を失うこともあるはずです。

その「書けない時」をいかに大切に過ごすかについても、村上氏の取り組みは一つのアイデアとなったはずです。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回はマラソンとか机に向かうという話ではなく、違った角度から「仕組み化と習慣」についてお伝えします。

前回記事

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す